主張の広場
    
        最終更新日 2013.10.08


ここでの発言は特定の相手を攻撃・中傷するものではありません。真摯な思いで主張しています。
また、イラストなどの挿し絵を挿入するとページを重くするので文章を中心に記載されています。
表題末尾の日付は、実際の記述日やお客様に出している「通信」からの転載を示しています

ご意見等はE-mail webmaster@noyufarm.jp まで


 

  富士山登山と世界遺産登録..........3年後には登録見直しが..大丈夫?
  原子力発電コストの値.............全部をコスト計算に入れないとおかしいでしょ
  天気ニュースの伝え方.............天気予報は淡々と、気象中継は冷静に
  素人推定−無罪...............非合法の権力による「起訴」
  再稼働なんて妥当なわけない.........中国高速鉄道事故処理をマネする?
  見えない”臨時給与” ............”手当”という名の給与の存在
  日出ずる国・JAPAN ............”美しの国”ジパングの存在価値
  サプリメントの氾濫 .............究極の成分・レスベラトロール
  ふたたびの放射能激甚被害 ........原爆ドームとは質の違う「原発ドーム」の出現
  訴訟社会の到来を憂う ..........社会を変えるトラブル解決方法
  アバター社会がやってくる .........分身、代理が幅をきかす社会の到来
  お薬カレンダー ..............地元福井の薬剤師会ががんばっている!
  安価なクスリの到来 ............デジェネリック医薬品競争の時代がやってきた
  メディアの品格 ..............メディアは正義の見方をしているんでしょうか
  貴女に遭いたい .............こんなに焦がれたことはない
  お役所の掟 ................彼等が変わることは無いでしょう
  年代呼称 .................横文字呼称は若返りの秘訣?
  世代交代 .................いつまでも現役ではいられない。
  政変抗体 .................世の中を冷静に見極める力を養いましょう。
  WBC決勝戦に涙した! .........”勝負”は日韓どちらかの勝利を超えたところに存在した
  絵画で感じる民主感 ...........著作権を権威と見るか価値と考えるか
  懲りない面々 ...............あれからもう10年が過ぎているのに
  備えあれば憂いなし ...........言い伝えを見直さなくちゃ
  人のいのちってなんやろ .........家族であっても失われていく「いのち」
  小浜市とオバマ氏 .............千載・万載一遇のチャンスとパフォーマンス
  餃子から見える中国農薬事情 .......国内生産現場に忍び寄る脅威
  シロウト目で見た外交...........自国民を大事にしない外交
  戻ることのない格差.............「心の格差」がすべての格差の始まり
  団塊世代におススメ.............新天地は、中国にアリ!
  いけにえ社会................誰かが命を落とさないと、事が進まない社会
     
 下の課題はLibruary(図書館)にジャンプしてご覧下さい
 「防犯パトロール中」ステッカー.......な〜んか、おかしいよ?
 気になるメディアのアフリカ報道....... 思い出したように頻繁に伝えるワケ
 近頃の若いもんは..............消防訓練で何を学ぶ?
 イラク人質事件で思うこと..........自己に厳しく他に温かく
 アメリカは何を求めているか.........計算し尽くされた演出が見え隠れする
 パラサイト・シングルが社会を変える... ..未来ニッポンの姿が見えてきた
 県情報公開懇話会を傍聴して....... .時代の流れを理解できない人々
 コミュニケーションの取り方・あり方.....伝えようとする気がない個人関係
 私も感じた「警察」の組織防衛本能......いったい誰のためのに存在するの
 別の角度から住民自治を見る....... .”軽薄短小速”社会の総仕上げなんだよ
 「地域振興券」の果たした功罪.......  貧困な人々から裕福な国民への贈り物
 「生命力」の強さはどこから生まれるか.... 自らの生命力を断つ日常生活の有りようを問う
 「バリアフリー」がもたらすもの ......バリアフリーが許されない領域もある
 「世界標準」とは何を意味するの?......日本人がニッポン人になる。
 環境ホルモン・・て、な−に.........人類滅亡の危機が近づいてきた。
 「市民オンブズマン福井」始動....... ようやく地元にも社会変革の眼が開いた。
 知られざる珍味のご紹介...........局地的なおいしさをお知らせします。
 たまごッチ診断...............リセットボタンはどこでもは作動しないよ。
 官と民を考える一つの事例..........意識のズレはハズレ、私の体験談です。
 ロシアタンカー重油流出汚染.........油を回収してたら急性肺炎にかかってしまいました。
 遺伝子組み替え食品がすでに上陸...... 私たちもそのうち組み替えられるかも。
 O-157の”カイワレ原因”は本当か.....農業者が思ったこと、感じたこと。

   


   富士山登山と世界遺産登録    2013.10.8

      悪天候による7合目からの強制下山から2年、「世界遺産」登録になった富士山の山頂を目指して再挑戦をしてきました。
    大手富士登山パックツアー「サンシャインツアー」の石川県小松駅発着利用でした。
    食事付き・下山後の温泉入浴付きで最低1万8千円なので、自家用車で出かけるよりお得です。
    しかも小松駅周辺の市営駐車場は24時間千円ぽっきりなんです。

      2年前と違っていたのは、同行する旅行会社手配のガイドでした。(5合目からの登山には資格を持った富士登山専門ガイドが
    下山まで同行します。)見るからに旅行会社のガイドとは思えない素人っぷり。これが登山を始めてからの脱落者を大量に出す伏線でした。
    金沢から富士吉田口5合目までは8時間。つまりバスに乗り込むガイドは客の登山経験やその日の体調を、この8時間の間に把握して、
    5合目からの専門登山ガイドに伝える必要があるからです。結果、今回参加した25名のうち若い女性を中心に9名が、7合目〜9合目で
    体調不具合、高山病で逐次脱落。登山ペース、休憩の回数や時間の取り方が左右しました。
    親しみを持った富士山ですが、登山という視点から見れば、日本最高峰の山で、初めてバックパックを背負うような人たちが最初に登る
    山としては妥当ではなくきわめて危険に満ちた山であることを、あまり意識しないのがリタイアを生む最大要因の一つでしょう。
    ちなみに高山病にかからないための必須条件は、登山中も休憩中も常に深呼吸で呼吸をすること、こまめな水分補給
    (頂上まで500ml×2本がめやす)の2点です。

      一部情報では、昨年より登山者が減ったとされていますが、登山口で入山記録に書き込む人数が減っただけ?で、「世界遺産」になった
    富士山には前年比4倍もの登山者が押し寄せています。私たちのバスに素人ガイドが乗ってきたのは、通常の慣れたガイドが、
    関西や東京方面からの記録的な数の登山バスに奪われたことが原因です。
      外国からの登山者も目に付きました。7合目-8合目の岩場でも、列にかまわず割り込んで、先を急ぐ外国人も目に付きました。
    究極は、下山途中に下山道で立ちションをするドイツ語らしき言語を話す外国人がいたことです。「ダメだよ、それ!」と注意を促すと、
    相棒とおぼしき男が「だから何だって言うんだ」と逆ギレする有様で、「ここは私たちの国だ。おまえの国じゃない!トイレはすぐこの下
    (6合目休憩所)にあるじゃないか!」と言い返すも、そそくさとその場を離れる始末。
    7年後の2020東京オリンピックでも、外国から多くの観光客が訪れることでしょうが、富士山の世界遺産登録でさえ、心ない外国からの
    ”招かざる訪問者”が後を絶たないのですから、さぞかし治安の乱れやマナー違反は最大級の問題となることでしょうね。
 
     登山者激増によるトイレの悪臭と屎尿処理、ゴミの整理など、3年後の世界遺産暫定登録見直しまでに、これらが解決されない場合は、
    登録を抹消されますが、残念ながらこのままでいくと、「三保の松原」を道連れに最悪の決定はほぼ間違いない状況です。



  原子力発電コストの値   2012.12.1

      今、私たちが新車あるいは中古で車を買うとき、「自動車リサイクル法」に基づいてリサイクル料金(1車両1回のみ)を
    支払う義務が生じます。これは将来、買った車を解体する際に部品を回収して出来るだけ再利用するためです。
    つまり将来発生するコストを先に負担するという話です。

     では、発電方式による発電コストにこの考え方、つまり建設費用だけでなく将来使用済みになり”償却処分”した時の費用も、
   コスト計算に入れなければ、本当の意味での発電コストにはならないのでは..と思います。総合資源エネルギー調査会による
   発電コスト試算比較のグラフ(2011.3試算)で、原子力による発電コストは5〜6円となっていますが、立命館大学の大島教授によれば、
   原子力発電に対する研究開発費や立地対策費を合わせると、年間約4000億円となり、この金額を考慮すると原子力の発電単価は
   10.68円/kWhになると試算しています。しかしこの大島試算には、東電福島原発事故による4基の廃炉処理費用、放射能拡散による
   避難住民、移転住民その他産業への補償費(国から東電に注入される分を含め10兆円を下らないと思われます)は含まれていません。
   またバックエンド(使用済み核燃料の再処理や放射性廃棄物の処分など)費用は見込み額よりさらに膨大に増えることも確実視されています。
   これらを踏まえ総じて言えることは、原子力による発電は、その他の発電コストを遙かに超えることになるということでしょう。
   5〜6円は、原発推進をしてきた・していくための矮小コスト値です。

   仮に、原子力による発電コストが自然再生エネルギーのコストを下回っていたとしても、東電福島第一原発事故でふるさとを捨てざるを
  得なくなった人々の無念、生活基盤を失った不条理をどう償えるというのでしょうか。償うというレベルの話ではありません。
  今後同じことが起こらないと誰が断言出来るというのでしょうか。コスト計算では到底解決出来ない重大な問題です。
  今後数十年して表面化してくるであろう特定地域に集中するガンの発現については、因果関係を証明しなければ”原発事故による
  被害ではない”との答えが返ってくるだけなのでしょうか。
   将来の子供や孫に現社会のツケをまわさない・まわしたくないという言葉が本当なら、原子力以外の発電による電気料金が値上がり
  しても、甘んじて受けるべきです。かすかな希望さえ望めないなら、パンドラ原子力発電の箱は絶対に開けてはならない。 


   天気ニュースの伝え方  2012. 7.1

        梅雨の時期でなくても毎日気になるお天気。節電が叫ばれる中でこの夏の天気ならなおさらです。
      数十年前に比べれば、「天気予報士」の資格を持った”気象解説者”がどのメディアにもそしてほぼ終日テレビ画面に
      現れています。特に最近は若い女性も多く、登場するときのファッションも手伝って華やかさが引き立ちます。

        ただ、少し気になるのはお天気解説の前ぶれで、必要のないような情景描写、耳障りにも感じる的を外した
      形容詞表現の羅列があることです。それが女性なら「カワイイんだからそんなに目くじらを立てないでも良いじゃないの」なんて声も
      聞こえてきそうですが、天気予報は正確である意味無味乾燥的に情報を伝えることが最も重要で、その情報を無理に修飾する
      必要はないと思うのですがいかがでしょうか。解説をする人間の教養度や表現力を知りたいとも思いませんし、女優・俳優でも
      無いわけで視聴者に印象づける場面でもないでしょう。
        台風や豪雨、土砂災害の現場から生中継する場合でも同じです。臨場感溢れる実況中継は、起こっていることの
      重大さや緊急性、自然の驚異をリアルタイムで知らしめてくれますが、それでもその中に不必要な表現を盛り込もうとする意図も
      見て取れます。画面に映っているのは、強風で折れた枝が揺さぶられている木..なのに、「強い風で木が倒れています!」
      などとは、誇大表現も良いところで正確さを欠いています。専門的なアナウンス教育を受けないでメディアに登場するタレントなら
      いざ知らず、地方局アナであっても少なくてもアナウンス教育を受けた人間なら、確かめた事実・正確な情報だけを伝えてほしい。
      「正しい情報、確認できた情報を飾らずに、視聴者の皆様にお届けしなければならないと反省をしています」と、ことあるごとに
      テレビカメラに向かって言えば、それが様々に間違っている報道への免罪符にでもなるかのように思っているのでしょうか。
      私は、ただ天気が知りたいだけなのです。



  素人推定−無罪   2012. 4.10

        彼の名前を聞くだけでも気分が悪くなる、ましてやメディアで彼の顔や姿を見ると”身の毛もよだつ”感覚を
      持たれる人も多数いることは承知していますが、メディアが作り上げた政治家・小沢一郎の人物像・イメージだけで、
      今回の検察審査会判断による強制起訴を論じることは、許されないと思っています。むしろ裁判にされてしまった
      ことさえ疑問を感じています。

        かなり昔のアメリカ映画で、ヘンリー・フォンダが主演した陪審員の評決を巡る映画を思いだします。不良で有名
      だった少年が父親を殺害した罪を裁く裁判の陪審員に選ばれたヘンリー・フォンダがただ一人が無罪を主張し、
      彼以外の陪審員全員が不良少年のレッテルからくる先入観で有罪としました。ヘンリー・フォンダは先入観を持たず、
      証拠や状況を一つ一つ丁寧にほぐし、有罪とした他の陪審員の根拠を次々に崩し全員無罪の評決を導き出すストーリーでした。

        検察審査会起訴以前の”無理矢理”強制捜査を行ってきた東京地検でさえ、政治資金規正法違反での起訴を断念
      したのです。東京にあるキーステーションテレビ、主要新聞各社の「メディア・キャンペーン=小沢一郎は悪者キャンペーン」
      による国民向けイメージ作りがあったにもかかわらず…です。その”先入観”に多くの人が浸かってしまいました。
      ちなみに、昔佐藤栄作首相がNHK以外のテレビ取材を拒否したことがありましたが、そのまま(ある意味事実)を伝えない
      テレビなどのマスコミを嫌った小沢一郎氏への稚拙な報復とも思える「悪者キャンペーン」には、ジャーナリズムとは
      ほど遠い絶望感さえ抱いてしまいます。

       大坂の橋本市長の唱える「国のかたちを変える」主張は、永田町や霞ヶ関の体たらくもあってすこぶる支持を得ていますが、
     今までそれを唱えてきたのが、政治家・小沢一郎でした。彼が長年の自民党政権をひっくり返し、民主党を率いて実現性間近
     と思える「国のかたちを変える」政治が進むことを恐れ、既得権温存と現状維持を望んだ国家権力=検察官僚・政治家・マスメディア
     が一蓮托生・多人同脚で彼を葬り去ることで意を一致させたとしか考えようがありません。日本の権力構造を30年以上外から
     見つめてきたオランダ人ジャーナリスト、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏著「誰が小沢一郎を殺すのか?」を読んでみても、
     ”えん罪”は免れない。「国のかたちを変える」主張は、長年の自民党要職在任で見いだした政治家・小沢一郎の「未来予想図」
     であることは間違いない。
       4月26日に無罪判決が出たなら、代表時に政権を取れなかった岡田さん、前原さん、それに連日彼を酷評してきた朝時計を
     またぐMCさんや他のニュースキャスターの皆さんは、一体どう対応するのでしょうか?〜その時、その顔が見てみたい〜


    再稼働なんて妥当なわけないじゃないですか   2012. 3. 6

       事故発生直後に事故列車を土中に埋め、2日後に高速鉄道運行を再開させた中国。
     原発事故の政府事故調査委員会はまだ「中間報告」を出しただけ、東電福島第一原発の水素爆発や核燃料の
     メルトダウンそして放射能拡散が、3月11日起きた巨大地震に由来するのか、そのあとに押し寄せた大津波に
     よるものなのか、複合発生なのか...。その原因さえまだ特定されていない段階で、どうして同じ型の原発が”安全妥当”と
     言えるのでしょうか。
       そのやり方は、人命よりも国としてのメンツや経済要素を大事にすると言う意味に置いて、「そんなばかな!」とほとんどの
     日本人がア然とした、中国の高速鉄道事故処理と何ら変わることはないじゃないですか。
     
      あの日から1年、地震・津波は自然災害..それでもまだ行方が分からない人も数知れず、ご家族には落ち着かない日々を
     強いられています。ましてや原発事故でふるさとを追われた多くの人達が戻れないまま、先の暮らしの見通しさえ立てられず
     ジプシー的生活を余儀なくされている。そんな生活をしてみたいですか?そうなる可能性に目をつむっても、豊かに電気を使う
     生活にとどまりたいですか。

      原発による電力エネルギーでなければ国民の生活レベルが維持出来ない...なんてことがないことは、この1年の節電運動や
     各種自然エネルギーの存在と有効性で証明されたじゃないですか。「自然エネルギーは、原発よりコスト高になる」という主張は、
     今回の事故によって引き起こされた当然の賠償はもとより、多くの避難民を生み出し、その人達の平和な生活を奪い、
     この先50年以上もかかる廃炉作業、その他”見えていない負の遺産”を背負ったことに照らし合わせれば、論拠を失うばかりです。
     
       一方で、不可能を可能にしてきたこの国の技術開発水準は高く、基準を満たすことは「絶対に無理」と言われた70年に
     アメリカから突きつけられた自動車排気ガス規制=通称マスキー法に対し、わずか20年で示された基準をクリヤーした経験を
     振り返っても、そんなにむずかしいハードルだとは思えません。
     優れた英知は、一体誰と何のために使うべきなのか、政治家や官僚にとどまらず、科学者たちの良心にも問うてみたい。


   見えない”臨時給与”   2012. 2. 3

       一月は、年の初めと言うこともあって、集落内の農家の事業運営組織である「農家組合」の総会も開かれます。
     私もその執行部役員(会計担当)の一人として役目をこなしてきました。その中で、一年間の仕事に対しての
     役員報酬が支給されますが、その他にその都度仕事に出たときの”手当”が近年になって支給されていることが
     分かり、”給料の二重もらい”の色が濃いことから、11人の役員全員で一部手当をもらわないことを決め、総会に臨みました。
     もらっている年間の報酬は、もちろん年間に発生する仕事に対しての報酬であって、事務仕事もその報酬の対象なのに、
     その事務をするのに出役した時間に対して”手当”と称して金銭の支給を行っていたのです。

      しかし、退職したある公務員の「そんな些細な金額のことで、あれこれ言うな」趣旨の発言が元で
      その議案を撤回させられてしまいました。 (もらわないと決めた6万円近いお金は他の必要なところにまわせるのに)
      私もかって、団体職員で働いていたことがありましたが、「勤勉手当」「年度末手当」、「寒冷地手当」など、本給の他に臨時の
      支給を受けていました。

       就職したときから、そんな手当てを支給されていると、”これが普通なんだ”と思いこんでしまい、勤めている期間が長くなれば
     ”当たり前”になってしまうのも致し方ないでしょうね。
     翻って中央省庁、県単位、市町村単位の国家公務員、地方公務員、独立行政法人職員などの間で少なからず、本給とは他に
     各種名目の「手当」なる”小遣い”が今も支給されているのではないかと、つい思ってしまいます。表に見える「事業仕分け」とは
     違った場所で「廃止」をすべき経費を洗い出し、なくすことが必要でしょう。
     なにも「(役人)天国」で無くなったからと言って、すぐに「地獄」となるわけでもないですから。
     優秀な人材確保と給与体系を関連づける優遇措置を見直す時期でしょう。


   日出ずる国・JAPAN

       世界にはいろんな国があり、それぞれに国を象徴する国旗があります。
     海外を旅行したり、テレビのスポーツ中継、特にオリンピックや世界選手権大会、最近ではサッカーの国際試合などで
     対戦国の国旗を目にすることも多々あります。
    主要国の国旗は、スポーツ場面のみならず政治の舞台や、社会ニュースなどで見る機会も多く、どこの国の国旗かを言い当てることも、
    むずかしいことではありませんよね。でも、一部新興国やニュースなどでメディアに登場するのが希な国の国旗は、見せられても、
    それが国旗であることも分からないのが実情でしょう。これらの国々やちょっと知られた国々以上に、全世界の70億の人間が
    知っている国の一つとして、我が国ニッポンの国旗が知れ渡っていることは間違い有りません。

      今年起きた「東日本大震災」「巨大津波」「フクシマ原発事故」は、良くも悪くもさらに私たちの国を世界中に知らしめる結果となりました。
    火事場泥棒的に商売に熱心な国も有れば、この際とばかりに非常識で莫大な補償を求める国も有り、これまでの恩返しと多大な義援金を
    集めて送ってくれた国もある。「寺の隣に鬼が棲む」は、世の常としか言いようがありません。
      震災直後の、冷静で規律正しい被災者の姿の”美しさ”に、中国のみならず世界が驚愕し、絶賛し、嫉妬したことは記憶に
    新しいところです。そんな勤勉でまじめと表されるニッポン人、徳川時代の鎖国200年が、究極の完成度を求める「ものづくり」精神を生み出し、
    その匠の技で世界を席巻するニッポン職人、アニメ・食文化・日本美術・タレント芸能で海外の若者や識者らを虜にするニッポンエンターテイメント。
    この国には世界で、地球上で存在しなければならない価値がたくさんある。それを日々暮らしの中でたゆみなく紡いできた私たちがいる。
    わずかで短い海外滞在と交流を重ねてきた私の目から見ても、日本国とその民は尊敬出来る、そしてされる類い希な国家と民族です。
    ”ジパング”の素晴らしさを失うことなく、自身も輝く黄金の国で有り続けたい。


    サプリメントの氾濫

      「健康」「美容」「ダイエット」をキーワードに、様々な栄養補助食品が数え切れないほど出回っています。
    通称サプリメント(U.S.A国内食品の区分名)と呼ばれる物質もその一例です。
    ヒトの生存・生育に微量に必要で、ヒト生体内で合成することができない有機化合物=栄養素が「ビタミン」で、”元祖”サプリメントです。
    明治44年、このビタミンを世界で最初に発見したのは日本人の鈴木梅太郎で、脚気(かっけ)に関わる因子=ビタミンB1を発見し、
    「オリザニン」と名付けました。当時の日本が世界に認められれていないこともあって、彼の功績はすぐには認知されませんでした。

     今では、「カテキン」「ポリフェノール」「コンドロイチン」「アントシアニン」「ヒアルロン酸」「コラーゲン」などをよく見聞きします。
   団塊の世代が60代を迎え、”元気なお年寄り”世代となっていく中で、彼らを中心に潤沢な年金と健康志向をターゲットに、
   関係栄養素を含むサプリメントがこれでもかと、マス・メディアや電話勧誘などを通じて、洪水のごとく家庭に流れ込んできています。
 
    そんな中、私もサプリメントなどに使われるファイトケミカル※素材の一つ=レスベラトロール開発初期段階のメリンジョエキス開発に
  関わってきました。インドネシアに多く植生するメリンジョのエキスから抽出されるメリンジョ・レスベラトロールは、ヒトの”長寿遺伝子(老化を
  遅らせ、寿命を延ばす遺伝子=サーチュイン遺伝子”を活性化させる働きがあり、アンチエイジングに有効とのこと。
  体内で悪玉コレステロールを減らし、血管の炎症や血栓の形成を抑える働きがあるとも考えられています。また、イリノイ大学の研究所
  グループが、レスベラトロールにマウスの皮膚がんを抑制する効果があるという論文をアメリカの科学誌「サイエンス」に発表して注目を
  集めました。このほか、がん細胞の成長に必要な新生血管の増殖に際して、腫瘍からの血管成長因子の放出を抑えるという報告もあります。

   開発に関わり、求められた成果を収めてから早4年、開発を進めてきた潟zソダSHC(本社:福井県福井市)の努力が実を結び、
   大手食品関連会社(例:山田養蜂場 ロート製薬)や中小の食品会社にも、メリンジョ・レスベラトロールが製品素材として
   取り入れられてきています。開発関係者の一人として、その将来がすごく楽しみになってきました!

     ※ファイトケミカル;植物の色素や香気成分に含まれている微量化学物質の総称で、
      ファイト(phyto)はギリシャ語で植物由来のという意味


    原爆ドームとは質の違う「原発ドーム」の出現

    私たち日本人は、ふたたびの放射能汚染と取り返しのつかない人的被害を招き入れてしまった。
   最初は戦時下アメリカの原爆投下で、2回目は平和利用下の原発で。

   東京電力福島第一原子力発電所で起きている放射能漏れと汚染水の拡大、そしてメルトダウンに続くメルトスルー、
   すべての収束には原爆被害を上回る時間と費用がかかるし、元には戻せない、戻らない事柄もある。
   政府も政治家も報道機関も、今は誰も口にしないだけです。

   私の住む福井県には、すこぶる危険な高速増殖炉もんじゅを含め14基の原発があります。
  私の住む町は30キロ圏内に引っかかり、何か有れば、地形的には福島・飯舘村と同じ状況になることは必至です。
  クリーン、安全、安定、低コストそして無限―耳に心地よく聞こえるこれらの言葉はすべて、それ以外のエネルギー源創出方法から
  目をそらさせ、原子力発電所を作るために用意された”作られた科学的根拠と数字”でしかなかったこと、「平和利用」には間違いは
  なかったけれど、政治家、官僚、電力会社など利権・利益、さらには地元振興という人間の欲望が渦巻く中で、原発の必要性を
  説かれてきたことを思い知らされています。天然資源のない国だから..と小さいときから教え込まれてきているせいか、原発が
  そのすべてを解消し今後も中心的にエネルギー源を賄うと言わて素直に頷いてしまったが、太陽、風、水、波、地熱も
  この国に存在する天然資源。

   国内54基の平均建設費が3000億なら16兆円強(ウランなど燃料購入費、交付金など地元対策費、後処理費(再処理費)を
 足せばその数倍?)、また今回のたった1回の事故の賠償額は10兆円にもなると言われている事を思うと、原発以外のエネルギー
 創出のための研究開発と実用化を進めてきたなら、少なくとも20万人にも及ぶ”原発避難民”を生むことも、その人達の日常とふるさと、
 そして幸せまで奪うことも、国土汚染も起こりえなかった...と、悔やむのは私だけでしょうか。
 
   まだまだ情報を隠したがる政府と東電、原発事故報道を矮小化し、視聴率稼ぎで会社の収入に躍起となっているテレビ局、権力に固執する
  政治屋..どれも原発推進をシナリオしてきたことと根っこを同じにしています。古くて新しい、生きていくうえでの永遠のテーマ「豊かさ」の意味を、
  原発事故の一部始終から目をそらすことなく、検証し、反芻し、静かに心に問いかける時です。
  東京電力福島第一原発1〜4号機の惨状は、収束後もせめて建屋だけは壊すことなく原子力過信のいましめ・象徴として、
  「原発ドーム(仮称)」として後生に残すべきだ。


    訴訟社会の到来を憂う    2011. 6.16

    先の東日本大震災の被災とその後事態の深刻さを増す原発事故の処理については、私は私なりにすること・出来ることをして、
   それが復興の一助になればそれでいい。』、思ってきましたが、気になることがあって書かせて頂きます。

     被災された方々には、起きてしまった悲惨な出来事に、未だ呆然とされていることでしょう。それらの数々の悲しいことは
   忘れることなど出来るはずもなく、ひたすらその悲しい感情を、変形させることなく自らなぞりさすって、それを繰り返しながら
   何年何十年かかってもあきらめがつくまで、心が納得するまで時間をかけるしかないでしょう。

    そんな中、下の「アバター社会がやってくる」でも警鐘した”オーベイカ(欧米化)”社会の到来が早まりそうなことになりは
   しないかと心配をしています。つまり、日々の暮らしの中で起こってる「もめ事」の解決方法が、「不文律(話し合い)基礎」から
   「法律(裁判)基礎」に、加速度的に進む恐れです。
     通常の営利活動を行っていた各種事業所、個人経営、静かに暮らしていた退職者が、3月11日一瞬にして失ってしまった利益、
   原発事故による放射能の拡散で避難を余儀なくされた地域の暮らし、東電や国は”出来る限りの支援と補償”を口約束していますが、
   それでも発生してしまった会社の損害、借入金の返済遅延・不払い、未払い金の回収、その他様々な場面で発生した”もめ事”の数は
   膨大で、話し合いや妥協で解決できない”もめ事”が法律事務所に持ち込まれたり裁判所に持ち込まれたりすることになるでしょう。
  
    その数も”未経験”の数字になるに違いありません。昨今の法律事務所CMをテレビで見るたびに、これら訴訟の想像数と相まって、
   法律で物事を解決するのが当たり前になる、アメリカのような訴訟社会が定着するかもしれないということを心配しています。
   それが根付くと言うことは、その延長線上に、アメリカで起きた「マクドナルド肥満訴訟」みたいな馬鹿げたことがあったり、トヨタ車アクセル
   不備事件のように競争相手をおとしめるための演出訴訟も起こりうることを覚悟する必要があるようです。杞憂でしょうか。


    アバター社会がやってくる  2010. 12. 4 
      
      昨年公開されたジェームズ・キャメロン監督作品映画「アバター」は、もうご覧になったでしょうか。
    映画だけではなく、ネットゲームのアメーバピグや他の携帯ネットサイトでも、仮想空間で別の人間に「なりきる」ことが出来、
    現実の自分とは違ったキャラで同じ仮想の相手やグループと会話や交流をすることが出来ます。
    簡単に言ってしまえば、これまで変身を得意とした鞍馬天狗やウルトラマンs、仮面ライダーのようにその人物そのものが
    変化(へんげ)するのではなく、もう一人の人間=分身を作り出してしまう楽しさや面白さは、「変化」の何倍何十倍もの
    ”醍醐味”があるからなのでしょう。
 
     すでに私たちは現実の社会でも、ごく一部ですが自身のアバター的存在を使っています。それは例えば交通事故を
    起こした時の賠償や補償の交渉・解決に掛金をしている損害保険会社員が示談をしたり事故責任割合を決めたりしていることや、
    裁判で弁護士を雇ったりする「代理人」のことです。本人が直接事に当たらないのですから。
     今年京都で、裁判所から来た通知を見た人がビックリしたそうです。隣に住む住人からの訴えで塀に被さっている植木の
   枝を切るようにとの命令だったそうで、一度も苦情を聞いたことがなかったのに、なぜいきなり裁判所に訴えたのかと
   不信感いっぱいだったそうで、隣人は数年前アメリカから帰ってきた日本人だそうです。直接「切ってもらえませんか」と言えば、
   それで済む話レベルで、裁判所の命令書では、あまりにも温かさ、味気なさを感じるのはヘンでしょうか。
 
     怒ったり、泣いたり笑ったり、しかめっ面をしたりして様々な感情や思いを抱きながら、隣人や地域社会、会社などの
   生活環境の中で生きてゆくとき、本来なら自身でそれらと向き合うことは当たり前のはずですが、分身を用意してそのアバターが
   事に当たる(特に自分ではしたくないこと)という社会がどんどん広がり当たり前になってしまう時代がもし来るとするなら、
   現実と仮想が錯誤して様々なまたは新しいリスクが増え続け、結果的にアバターが増幅・増員され現実社会を動かしていくこと
   になってしまい、当の本人の影が薄くなるのではないでしょうか...そんな社会は来て欲しくないと願っています。


    お薬カレンダー  2010. 9. 10
 
     病院から処方されたお薬を、間違えずに飲むために考案された一週間分のポケットカレンダーです。
    84歳になる母親が4月から6月まで、膝の人工関節入れ替えのため入院をしていましたが、退院を機に複数処方される
    内服薬の飲用を間違えない(重複服用など)ように「お薬カレンダー」を購入しました。 
     ネットショッピングでも数多く販売されていますが、結構なお値段ばかりでした。そんな中から低価格で各箇所が
    2重ポケットになっている(社)福井県薬剤師会のカレンダーを取り寄せました。福井県薬剤師会、がんばってるんですね!
   一部650円(壁掛け式、縦64.5p 横43.5p) 送料は約400円(地域差あり)で、福井県薬剤師会ホームページにある
   メールアドレスからお申し込みが出来ます。http://www.fukuyaku.or.jp/


   安価なクスリの到来  2010. 4. 4

     最近芸能界や相撲界を騒がせている「クスリ」の話ではありません。
    食の洋風化、社会の高齢化が今より以上に進み、医療的にも日常的にも医薬品は、持病などその必要性に相対して
    身近に欠かせない必須アイテムの一つとなってきています。販売店もコンビニのように至る所に存在してきています。
    そのメーカーは医師の処方せんが必要な「@医療用医薬品」、処方せんがなくても薬局で手に入る「A一般用医薬品(大衆薬)」、
    特許が切れた医療用医薬品の成分を使った「B後発医薬品」に大きく分かれています。
 
    @の分野で売上高が最も大きい日本メーカーは、武田薬品工業(1兆5383億円)。続くアステラス製薬(9650億円)、
   第一三共(8420億円)、エーザイ(7820億円)が4大手と呼ばれる製薬会社です。協和発酵キリン、田辺三菱製薬、
   大日本住友製薬、中外製薬、大正製薬、塩野義製薬といった準大手クラスがこれに続きます。(売る上げ額は概数です)
   日本の医療用医薬品の市場規模はメーカーの売上高合計で7兆1500億円。日本国内での売上高でみると日本メーカーに
   混じって外国メーカーが上位に入る。外国の子会社となっているのは、中外製薬(スイス製薬会社)、米メルクは万有製薬、
   ドイツ子会社のエスエス製薬など。A大衆薬の国内市場規模は6400億円。最大手は大正製薬(2560億円)。
   近年、「ジェネリック」とも呼ばれるB後発医薬品の国内市場は4000億円。そのトップは高橋英樹さんのコマーシャルで
   おなじみの沢井製薬です。ちなみに医療用目薬首位は参天製薬、大衆目薬トップはロート製薬です。
    (参考文献:日経就職ナビ)
 
    今後は、特許がオープンになったジェネリック医薬品がどんどん巷に増えてきますし、国内外を問わず大手や中小の製薬会社も
   参入して、これまで高価だった医薬品が安く手に入る時代を迎えています。これまで”クスリ漬け”と言われてきたこの国の医療が
   さらに加速する恐れも増大してきました。メディアその他でのPR合戦、ネットの一部や対面での販売合戦も活発になって
   くるでしょう。しかし安易な購入は禁物です。
     「健康で長生き」を目指し日々豊かな生活を送るためにも、出来るだけクスリを頼らず、節度ある食生活やスポーツ的運動を
   行ない、抵抗力のある自然体を養って少しでもクスリに接しない毎日を送りたいものです。
   ついでに、「健康サプリメント」複数同時飲用による副作用にも注意しましょう。それぞれ一つ一つは効果のあるサプリメントでも
   複数併用の場合、副作用を誘発することもありますので気をつけてください。


   メディアの品格

     「未曾有」「頻繁」「踏襲」などの読み方を間違えた総理大臣が”ぶらさがり”記者会見で、質問する記者をおちょくる
   対応をしたから?「君は憲法を読んでいるかね」と記者を逆質問したから?それを境にメディアが一斉に特定の個人に
   対し連日のようにバッシングを繰り返す。自らの報道の正当性を補強するように、国語学者や文学者、警察OB、
   検察庁OBをスタジオに呼んで話をさせる。本来ならメディアは、権威や権力から離れた位置にいて、それらから
   脅かされることなく自由・公平で普遍的・客観的な意見や主張をするべきじゃないのかな?
 
    以前から思っていましたが、事故や事件が毎日のように起きていても、だからといって警察OBを番組に常駐させるのは、
   いかがなものでしょうか。番組作りの段階で、その内容について警察当局に不利になるようなソースもチェック
   出来ちゃうわけですから。なにか、”用心棒を雇っている出店”のようにも見えてしまいます。
     新聞記事を頼りに番組を作ったり、広告収入の減少が原因で制作費を抑える意味合いからしょうか同じ映像を
   見飽きるほど繰り返し使って、興味本位の番組構成をしたり...。
   言論の自由・拠点を自負するなら、良識ある態度と言葉遣い、品格・品位ある放送番組のあり方をもっと自己啓発して
   欲しい。「政治のレベルは国民のレベルの表れ」と言いますが、「メディアのレベルが一般世論のレベルを形成する」ことを
   自覚してほしいです。
   まずは、裸姿の芸人出すの止めませんか?


   貴女に遭いたい

     貴女の存在を知ったのは、ずいぶん前のことでしたね。
   貴女が誰からも好かれる大切なものを持っていることを、私も貴女を知ってから感じていますし、たくさんの人からも
   貴女の微笑みが素敵だと聞かされてもいます。あの日から、貴女にどうしても遭いたくて、ずいぶんと探し歩いている
   ことを貴女は知ってくれていますか?

   仕事を持ちながらでは貴女のことを風の便りで聞いてもなかなか出かけていくことが出来ないけど、それでも貴女の姿を
   見つけたくて、地元で遭えるかもしれないとあちこち出かけてみたり、東京で見かけたと聞けば、仕事の合間を縫って
   東京へも出かけたりしたんですよ。
  
    ねぇ、覚えてくれていますか?
   一度だけ、たった一度だけ貴女を見かけたことを。ドキドキして心臓が止まりそうでした。
   でも貴女はかすかに、ほんとうにかすかに微笑みだけを私に見せて、そのまま姿を消してしまったよね。
   冷たささえ感じる貴女なのに、どうしても忘れる事が出来なくて吐息こぼれる毎日を送っているんですよ......。

     お願いです。貴女に恋いこがれる私の気持ちを思いやって下さいませんか。
  
      大声で貴女の名前を呼ばせて下さい!

       一度だけ、本当に一度っきりで良いんです。

          どうぞ私に貴女の素敵な微笑みを見せて下さぁ〜い!!!








    「3億円ジャンボ当選」の女神様!^^;

   お役所の掟

    来年度予算編成の入り口として、事業仕分け作業が行われ、各方面から強い関心と注目を浴びました。
   誰もが言うように、政権交代がもたらした国民利益にプラスの側面です。これまで、お近くの区役所や市役所
   あるいはお仕事に関係する官庁や行政機関で働く職員=お役人と接してきた私たちには、信じがたい光景を
   目の当たりにする機会となりました。
    鋭く質問をする”必殺仕分け人”と呼ばれる国会議員や有識者に対し、一流大学で優秀な成績を修め、入省後も
  上司に鍛えられ経験を積んでキャリアを磨いてきたはずのお役人達が、しどろもどろになったり、答えに詰まったり、
  時には冷や汗を流したりしているのですから。どうしてそんな姿をさらけ出すことになったのか...。

    今から15年ほど前、当時の厚生省横浜検疫所で検疫課長をしておられたお役人が、「お役所の掟」というタイトルで、
  役所内で不文律化されていた役人として生きていくための”心得=掟”を独自の視点で暴露・検証した本を書き、日本中の
  話題となりました。実に読み応えのある内容でした。
   私は、就農する前に準公務員と言われる団体職員を4年経験しました。夏冬のボーナスの他に、勤勉手当・年度末手当
  はたまた寒冷地手当..不況など関係なく盛りだくさんでした。その短かな経験でも言えることがあります。
   お役所の仕事は書類と向き合うのが日常で、国会議員が人(有権者)と向き合うことを日常としているのとは別世界なのです。
  特に役人同士以外の一般市民などと向き合い話をするのは苦手中の苦手です。またお役所の中では、「なぜそれをするのか」
  「どうしてそうなるのか」を突き詰めることはありません。暗黙の了解で仕事が流れていきます。新卒でお役所に入ると、個性と
  言う名の”角(かど)”を丸くするよう教育されるなんてことは、日常茶飯事です。人と向き合い、相手の表情と話の内容をかみ
  合わせ、意図を理解し自分の言葉や考えで返事をすることなどの積極性にも乏しく、”掟”としても許されない行為なのです。
  「法律で決まっていますから」「制度上どうすることもできません」などと窓口で答えるのは、努力の限界を示しているのでは
  ありません。余計なことをしたくないための”言い訳”であることが結構多いです。

   今回の事業仕分けで明らかになった官僚の体質ですが、今後ともスリムな予算による健全な財政運営より、自己保身と
  保全を優先することにいとまがないのは間違いないでしょう。「国を想う」「国を憂う」..そんな見識が彼らにもっと深まれば、
  時の政権に関係なく、確実に着実に財政運営や税金の使途、国民生活のあり方が変わることもあるでしょうが、環境、建設、
  科学、教育などなど、どの分野でも”ヒモ”のようにもれなくついてくる独立行政法人組織。事業の後方に控えるならまだしも、
  事業の冠に位置し、高給や高額退職金に見られるように、公財(税金)を私財に付け替える”マネーロンダリング”が、
  彼等には最優先の業務なのです。
   県レベルでも五十歩百歩。関連組織に天下れない場合でも、「県政相談員」などの処遇でのんびりした”公務員余生”を
  送れるのです。「公僕」と言う言葉は、元々日本には存在しない言語ですね。


  年代呼称

    テレビドラマがきっかけで、年代の呼び名が様変わりしたようです。
   それまでは、「20代後半から30代前半」とか「30代後半から40代前半」とか言う言い方でしたし、ティーンエイジャー、
  あるいはハイ・ティーンぐらいはあったでしょうか、でもそんな程度の”呼び名群”ぐらいでしたよね〜。
  特に女性にとっては、年齢は若さを尺度される客観的基準数値でもあり、受け入れたくはない「身体的認識尺度」でも
  あるわけで、できればそんなカウント数値はない方が良いと思っている方も多いでしょう。
   そこに現れたのが、「アラサー」、「アラフォー」という呼び方でしょう。本来は英語で言う「Around 30ty」「Around 40ty」で、
  「アラウンド・サーティ(フォーティ)」を短くしたトレンディ言葉です。これなら、若さ十分の年代から「オバ○ン」扱いをされる
  ”30代前半”、”40代前半”などどしゃっちょこばった言い方で片隅に追いやられることもなく、ちょっとおしゃれで、
  完熟度(失礼!経験値でしたね)も備わった”エレガント・エイジ”として認知され、場面によっては重宝されることになったわけですから。
 結局は高齢化によって、年齢構成のピラミッドが”変形”してきて、30〜40年代の社会的存在意義の重要性も増してきた
 所以でしょうか。でもこれらの年代に限らず、どの年代であっても輝いているのは、内外を問わず美しさに繋がるわけですから。
 呼び方で気分も変わり、積極的に毎日を暮らすことが出来るなら、結構なことなんじゃない?
   さすれば、50代付近は「アラフィー」かぁ、何となくアルフィーを知っている世代としてはなじめる雰囲気。
         60代付近は「アラシー」.ん〜、.なんか若くなったようなサウンド。
         70代なら「アラセー」? 昔そんな響きの力士がいたようで元気も出てくるかな。
         80代だと「アラエイ」....もう、陸の生き物じゃないような..。
         90代だと..歯も抜けかけて、うまく発音も出来ないんじゃないかと..アレマー!


  世代交代

     農家も高齢化が進み、息子に田んぼを任せる家もちらほらです。我が集落でもそんな姿を眺めてきました。
  ある一軒の農家では、親は70代、息子さんももうアラフィーなのに、トラクター、田植機、コンバインなど、どの農業機械でも
  その70代後半の父親が運転し、息子は機械の周りの補助仕事をさせられていました。
  ある日その父親が”頭プッツン”して入院したところ、機械の使い方、肥料のやり方など栽培全般を全く教えてもらって
  いなかった息子は、見よう見まねで田んぼをしたもののうまくいかず、結局は集落の生産組合に全面委託してしまいました。
    親にしてみれば、いつまでも現役でいたい気持ちや、「柱」を渡してしまう寂しさを分からない訳じゃないけれど、
  世代の交代は、ある日突然には出来ないもので、少しずつ移行するか、一旦渡して今度は自分が次世代をサポートする
  のが良いに決まっています。
    我が家の場合、父親自体が早くに祖父から”所帯を渡して”もらったらしく、その分早くに地域社会にも出て行けたことから、
  父と私との世代交代は、私が結婚してまもなくのことでした。お陰で集落のことや仕事のことでは早くから経験を積むことが
  出来たように思います。
    8月30日の政権交代劇はまだ旬の話題ですが、ひょっとしたらあれは、「政権交代」ではなくて、「世代交代」だったのかも
  しれませんね。「渡すわけにはいかない!」「未経験だから不安でいっぱいだ」と論を張っていた人たちは、実はその
  70代の親で、「一度やらせてみて下さい」と叫んでいたのは息子だったのかもしれません。代わった息子が一朝一夕に
  すべてにうまくいくはずもなく、ぎくしゃくすることがあっても、一生懸命に、前向きに頑張っているのなら、温かい目も必要でしょう。
  いずれにしても”案ずるより産むがやさし”そして、”年寄り絶えても村絶えず”なのでしょう。


  政変抗体

     先月7月21日、衆議院が解散し8月30日に総選挙となりました。
   今月30日までの一ヶ月、マスコミによる選挙報道は頻繁になるでしょう。今回の選挙では、自民党大敗&民主党躍進が
   予想されていますが、この環境を作った張本人は、あのコイズミさんだと思っています。前回の「郵政解散」で”自民党を
   ぶっ壊す”と言いながら大勝を果たした経緯から、彼の”ぶっ壊す”発言は自民党勝利へのカモフラージュだったというのが
   一般的な見方ですが、「派閥力学」政治とは無縁で、その手法が今とこれからのニッポンには適応できない政治形態である
   ことに気づいていた彼は、自らが育った組織の存在意義が、もはや無くなったことを冷静に分析し、本気で自民党を
   壊すつもりだったと、今振り返って思っています。
    ポスト・コイズミの安部、福田、麻生は、終焉を迎えつつある自民党の断末魔的エピローグを飾ったに過ぎないのかもしれません。
   中央官庁からの”天下り”知事さんたちとは異質な人たちの地方自治体首長出現によって、下方からの”物言い”は、
   かって薩摩や土佐の下級武士が中央に対し反乱を起こしたのと同じ現象で、それだけ中央の統率力=統治力が弱まっている
   ことを意味しています。西郷どんや坂本さんのように自らの利益を顧みず命を賭けてこの国の将来に取り組む寵児が見あたらない
   点では、明治維新とは比較にもならない時世ですが、脱皮によって成長する昆虫たちのまねごとだとしても、”一皮剥けた”
   ニッポンを経験することも”また楽しからずや”ではないでしょうか。

    思い起こせば、”万年野党”だった日本社会党が村山政権を作ったあと、時を置かずして終焉を迎えてしまいましたが、
   結局は野党精神を見失い、民生の日々や時代の移り変わりに目もくれず、労働運動中心主義から離れられないままでいた
   ”KY”が、崩壊の原因だったのでしょう。今も派閥力学だけに目を向ける内向き組織で有り続けようとする自民党と、
   ろくに勉強もせず選挙の時だけ”ジャンル別トレンディ熟語”を羅列的に並べるだけの演説をする議員候補なら、
   消え去った日本社会党の轍を踏み、落選するのは明らかです。

    そして、私たちが各政党のマニュフェスト論争に目を奪われることなく、冷静沈着に観察し見極めなければいけないのは、
   一部メディアの報道のあり方です。
    「コイズミ劇場の時のように、乗せられることなくバランスの取れた報道をしなければならない」と自戒を込めたコメントを発する
   パーソナリティやコメンテーターを見かけますが、これは読者・視聴者に「自分たちは中立的な立場でコトに取り組む」姿勢を
   演出しているのであって、報道の発信元である一部メディアが商業主義を第一に掲げ、・購読率・視聴率アップによる
   企業スポンサーの取り込みを増加させ、メディア内部で作り出した数々のヒーロー達をコアとした営業活動をカモフラージュするため
   に過ぎません。多くのメディア組織が「株式会社」であることを忘れてはいけないし、政党の幹部や有名国会議員をスタジオに呼んで
   ”雑談”させる政治ショーで視聴率を稼ぐという番組編成は、視聴率ありきの低俗番組だと認識している必要があると思います。
   「勝ち馬に乗る」的発想で報道を進めるメディアもあるでしょうから、もっぱら物事を冷静に見据える力を養いましょう。


    WBC決勝戦に涙した

    WBCの舞台で、日本チームが2度目の優勝を果たしましたが、未だ興奮冷めやらぬ野球ファンも多いことでしょうね。
   最後のバッターを三振に打ち取った瞬間、いえいえイチローがセンター前ヒットを放ち2点をたたき出した瞬間は、
   長野オリンピックでの原田選手のジャンプ、採点にならないイナバウアーの美しさを氷上の流れに沿わせ、金メダルを
   勝ち取った荒川選手など多くのアスリートたちが偉業を達成した時に勝るとも劣らない瞬間でした。スポーツマンシップに
   乗っ取ったすばらしいプレーを見せてくれたすべての選手に感謝したいです。

    決勝戦を観戦していた日本の野球ファンのほとんどは、9回裏で韓国に同点にされて悔しい気持ちになったことでしょうが、
   私はその攻防を目の当たりにしながら、感極まって思わず涙があふれてきてしまいました。それは、日本と韓国のどちらが
   勝つとかへの興味心ではなく、アメリカを始め16カ国が参加し、その決勝戦でアジアの2国が「世界一」を賭けて死闘を
   繰り広げる姿に言い得ぬ感情を抱いたからです。
    今から約35年前の1970年代半ば、農業研修生として1年余りをアメリカで過ごした間は、それとなく漂っていた
   「差別的」雰囲気を感じざるを得ない時代でした。いつかこの国に負けないくらい強くなりたい..と思ったこともありました。
   決勝戦の会場で、日韓それぞれの応援に駆けつけた両国の「在アメリカ」の人たちの中に、その胸に秘められた思いも
   ただ単に祖国の勝利を願うだけでなく、必死に生きてきたアメリカの地で「祖国が堂々と世界一の座を競っている」ことに、
   試合の勝敗とは別の感情が去来した人も多くいたのではないでしょうか。そんなことに想いを馳せながら日韓両雄の息詰まる
   プレーや勝負の醍醐味を堪能させてもらいました。
 
    願わくば、次回のWBCでもアジアの国の活躍をさらに期待したいところですが、聞くところによると、次回の参加国はヨーロッパ地域の
   国々からも含め大幅に増えるんだそうで、ますます面白い展開が期待できそうです。オリンピックもそうですが、アジアの国が
   頂点に立ち始めると、やたら競技ルールを変更したがる大会組織役員も結構いますので、そこんとこあまりいじくらないように
   お願いを致しま〜す。


   絵画で感じる民主感   

    私の書斎(兼事務所)には、日本の浮世絵に大きな影響を受けた画家=ヴァン・ゴッホ・ヴィンセントのパネル製版された
  名もなき田園風景画(複製画)が壁に掛かっています。申し上げるまでもなく、いくつかの「ひまわり」やいくつかの「自画像」
  などで有名な画家です。インターネット通販で買いましたが、ジクレープリント複製の作業はアメリカで行っているようで、
  成田経由で届きました。価格は航空運賃を含めて2.2弱万円でした。
    本当は、日本画の中で気に入った風景画を飾りたかったのですが、絵画の世界に疎く絵の探し方も分からない私には、
  見つけ出すことが出来ませんでした。もとより、原画などは望むべくもなく、部屋に入ったときの落ち着きをもたらしてくれる
  インテリアとして飾りたいというのが、私の思いです。ただ”お気に入り”を探しあぐねている間に、日本画の複製販売と
  海外特に欧米画家の複製画のそれとの間には、根本的に考え方の違いがあるように感じました。日本一国と海外多国の
  絵画数は、当然ながら相対的に差があることは間違いないですが、それでも欧米絵画の数には圧倒されます。
  しかも日本画複製に比べ割安です。

    欧米画複製販売で感じるのは、著作権所有にちゃんとした対価を払いながら、美術作品として価値のある絵をたくさんの
  人に知ってもらう、目に触れて欲しいからと、”リーズナブルな”価格を提示していますが、これが日本画となると存命中だから
  なのでしょうか、やたら落款や直筆サインをつけて、高価で販売されている気がします。それも桁違いで。
    芸術作品としての価値を、金銭的な価値で評価するをどうこう言っているのではなく、作品はその人の考えや価値観を
  表現したもので、それを大勢の人に共有してもらいたいと願うはずで、それなら”権威的”にならずすそ野を広げて欲しいと
  思うのです。
 
   誰かが掴んだ価値あるものを、出来るだけ広く多くの人に共有して欲しいとの思いを垣根を低くして伝えようとする価値観と、
  芸術性と希少性を全面に出して”あがめて欲しい”みたいな雰囲気を出す価値観の双方に接していると、日本と欧米諸国に
  歴史的に横たわっている基本的価値観の差を感じざるを得ません。
  紫煙が途絶えて久しい部屋には、ゴッホ画の他にシャバスの「9月の朝」(アートプリント)他1枚が交代で”出展”されています。


  懲りない面々   2008.11. 2
     桜が満開だったあの日、私は二人の仲間と東京霞ヶ関の会計検査院の一室にいました。
   我が福井県の県庁で組織ぐるみの裏金作りが行われていた全容を、上申するためでした。情報公開で得た
   福井県農林水産部のとある部局の事務費資料を調査した結果、長年に渡って恒常的に裏金作りをしていることが
   明らかになったのです。今回発覚したのと同じ手口で、架空発注を繰り返し、事務用品業者に裏金をプールする手法でした。

     調査は、毎月の発注書に記載されている文房具やコピー用紙の仕様や枚数を特定するために、メーカーからカタログを
   取り寄せ、調べ上げることから始め、カラ発注の全文具をパソコンにデータを打ち込むなど、一年を要しました。
   発注したすべての商品を使い切ったという部局責任者の”証言”を元に、例えば一年間に”使い切った”積み上げれば
   人の背丈の4倍もの高さになるコピー用紙と、”使い切った”修正テープを付き合わせると、用紙一枚一枚に最低でも
   一回は紙横一列の文章訂正を行わないと、発注した修正テープを使い果たすことが出来ないことになり、「この部局では、
   朝から晩まで毎日のように、一旦作成した書類を、片っ端から訂正しなければいけないような仕事の仕方をしていた
   のですか?」と問いかけましたが、当然のことながら答えられるはずもありませんでした。

     「調べられることはない」「見つかるはずはない」そんな思いが、A文具、B文具、C文具を3ヶ月毎に組み合わせを
   変えるだけのパターン発注書を作るお粗末さでした。カラ発注した修正テープ全個の長さ(センチ合計)をコピー用紙の
   枚数で割るなんて、考えても見なかったのでしょう。業者にプールさせた裏金の使途は、もちろん公には説明出来ない
   使い道が多く、部局の同じ出先機関同士のお中元お歳暮のやり取り、職員異動時の送迎会飲食代などなど、
   組織ぐるみの私的流用が大半です。
     彼等に裏金作りのスキを与えるタネが、国から自治体への国庫補助事業の中に潜んでいることも分かりました。
   各事業にはそれを実施するに必要な事務諸経費として数パーセントの「事務費」が含まれています。受ける自治体の
   部局は一つなのに、出てくる事業には、毎回事務費が付いてくるのです。今日の仕事はA事業だからAのボールペン、
   明日はB事業の仕事だからBの鉛筆を使おう..なんて、ありえないのに。
     十年もの歳月が過ぎてから、会計検査院が自治体の裏金づくりを公表するなんて..。
     確かなのは、今回表に出た裏金額の過小性とこの十年間の累積”横領額”の膨大きさです。


  備えあれば憂いなし  2008. 6. 2
     古き良き言い伝えです。そして今、世の中は相も変わらず賑やかなようです。年金、後期高齢者医療制度、
   ガソリン高騰、食品値上げ、医者不足、産婦人科不足...etc
    私たちの生活に大きく影響する諸問題が、ツナミのように押し寄せてきた感じがしますが、一体どうしてなんでしょう。
   アメリカのサブプライムローンが原因?とうもろこしなどのバイオ燃料化?投機マネーの集中?一見なるほどと思って
   しまう理由が、まことしやかに流れています。確かに直接の原因はそうかもしれないし、その結果として私たちの生活に
   影響が及んでいるのかも知れませんが、ちょっと待って下さい!これらの問題は「備えあれば憂いなし」を忘れていた
   (放っておいた)私たちやニッポン政府の「因果応報」とも受け取られるのではないでしょうか。

     5年に一度の国勢調査は、人口や世帯数、高齢者世帯の状況、就業状態、産業別構成などの統計データとなって、
   国や地方の行政施策(福祉、医療、環境、教育、交通、住宅等)の基礎資料として生かされ、その他農業や道路交通、
   経済など分野別のセンサスも実施され、膨大な統計データが国の将来起こりうる問題に対処するために使われてきた
   はずです。となれば、小児科.産婦人科医師が不足することも食糧自給率の向上も、医療や福祉に必要な財源の確保も
   ず〜っと、ずーっと前から分かっていたはず。
     以前、農林統計事務所の職員と話をしたことがありましたが、「現場で地道に統計数字を拾い集めても、上に上がって
   いくと、その数字が正確に・効果的に・将来的に反映されることが少ない」とこぼしていました。生かされない統計はただの
   数字の集まりだけで終わってしまいます。備えをしてなくて泣くのが同じ人間なら「自業自得」と言えるでしょうが、備えをして
   こなかった人達と、その結果憂いが降りかかる人達が別では、アリがキリギリスに”喰われて”しまう話になってしまいます。


  人のいのちってなんやろ   2008. 4. 2
     後を絶たない無差別通り魔殺人、銃乱射による殺傷、死に瀕した救急患者の病院たらい回しなど、
   毎日のように起きています。被害に遭われた方々やご家族、周りの人達には無念としか言いようのない怒りが
   こみ上げてきていることでしょう。いのちの大切さをどんなに叫んでも、残念ですが、この先も事件は続くのでしょうね。 
     最近の報道を見てると、妊娠しても母子手帳も持たず、臨月や産気づいてから産婦人科に行く「駆け込み出産」まで
   横行し始めているというではありませんか。一体命をどう考えているのでしょうか。「生む」ほうも、命を粗末にした出産が
   あるかと思えば、「死ぬ」ほうにも”簡素化”現象が起き始めているようです。

     昨年私の父が亡くなった時、私は父の遺志を尊重して自宅で行いましたが、農家の家..と言う広さがあったし、
   ご近所からは、葬儀のお手伝いも快く引き受けてもらった幸せがあるから出来たことでしょうが、最近では新聞の
   お悔やみ欄を見ても”セレモニー会館”での葬儀がほとんどです。住宅事情、葬儀手配、自宅なら後片づけ..など
   煩雑なことも多く、致し方のない方法であることは十分承知しています。
   自宅で葬式をした理由はもう一つあって、それは私自身が日頃から思っていたことです。つまり、父が生前集落の
   中で生きてきたわけですから、当然多くの人たちと深いお付き合いをしてきたわけで、家族が別れをするのなら、
   お付き合いをして頂いた方々にも、別れの式(けじめ)が大切なはずだと。しかもその人たちとの付き合いの長さは、
   子である私とはず〜っと長いのです。セレモニー会館では、亡くなった人が暮らし続けてきた家で感じる生活感や
   流れてきた時空を漂いながら別れを惜しむ感触は、なかなか持ち得ないでしょう。

     都会では、火葬場が混むと言う理由で、病院から火葬場に直行することも一部では出始めていて、近親者の
   知らない間に荼毘に付されてしまっていることもあるようです。葬儀を取り仕切るのは葬儀屋で、葬儀、火葬に関わる
   事務一切を引き受け、喪主も導師様もお客扱いのようです。一体誰が誰を弔うのでしょうか。ひどい話になると、
   葬儀に呼ばれたお坊さんが受け取る「お布施」の一部を、葬儀屋にお礼として渡さなければ、二度と葬儀屋から
   声がかからない(呼んでもらえない)とか..。

     既存宗教のあり方にも問題は多々ありますが、血の繋がった肉親の死を悼んで、その死を生きてきた証として、
   また自分の生=命に繋がっているものとして向き合えない世界だから、生まれてくる命や今生きている命を大切に
   扱うことが出来無くなってきたとしても、仕方がない..なんて簡単に片づけられる事柄じゃないはずですよね。


  小浜市とオバマ氏   2008. 3. 2

    我が福井県南部に位置する小浜市。北朝鮮に長年拉致され帰還した地村さんご夫妻のふるさとでもあり、
  NHKの朝ドラ 「ちりとてちん」の放送で一躍有名になっている街でもありますが、数ヶ月前からもう一つの話題でも
  脚光を浴びています。
   それはアメリカ大統領選挙の予備選で、民主党の大統領候補指名争いをクリントン候補と繰り広げている
  バラク・オバマ候補の名前と発音が同じで、横文字で書いても同じくOBAMAだし、以前来日の際の出入国係官との
  エピソードも手伝って、メディアが「オバマ市」を報じたからです。地元小浜市では、観光協会員らが「オバマ候補を
  勝手に応援する会」を発足させたり、名産品の若狭塗りばし(箸)をオバマ氏に贈ったりして知名度を上げる千載一遇の
  チャンス到来、「観光客誘致に使わない手はない」とばかりに、市をあげて躍起になっています。
   しかしねぇ〜、やっぱりヘタだね〜、チャンスの生かし方が。結局は”受け身”しかできないんだよね。
  新潟県のコシヒカリが有名になった時も、”コシヒカリは福井県で作られた品種で、福井県が生みの親だ」な〜んて、
  後の祭り的PRを繰り返してたっけ。

   アメリカ大統領候補を決める予備選挙、アメリカ人男性の「借りは必ず返す」気質、ユーモアをちゃんと受け止められる
  国民性を考え合わせれば、今すぐにでも各州開催の党員集会に出向いて、演壇上でオバマ氏に「小浜名誉市民」の
  称号を授与し、「必勝だるま」を手渡し、2〜3日彼に同行して応援するぐらいのウィット&ハッスル精神はないんでしょうかね〜。
  ホントなら、まだオバマ候補がまだ優勢になる前の方が良かったと思うけど。何でって?そりゃ〜選挙を知っている人なら
  わかるでしょ。劣勢の時には”ワラをもすがる”状態だからですよ。そんな時に、外国から応援団が来てくれりゃ、応援の期間、
  報道陣もそれを話題に彼の顔や名前を全米に報道してくれるし、黄色系の党員や代議員にもアピールできるってわけ。

   民間人がそれも日本から、まだ大統領にもなっていない人物を、かの地に行って応援したとしても、日本政府やアメリカ政府、
  小浜市も、応援団を制止したりとがめたりする理由はどこにもない。ニッポンメディアは新しいモン好きだし、アメリカのことなら
  大きく連日連夜報道するし、彼が大統領になって来日した日にゃ〜、100%小浜に来るっちゅうのに。今までの例なら、
  最初の訪問ででは、東京イン・京都(大阪)アウトだから、ちょっと足を伸ばせば小浜まではたったの1時間じゃない。
   大統領選に敗れても、世界に報道された結果は必ず出るよ。もっと云えば、彼が新大統領になったら、日本政府と
  オバマ大統領の橋渡し役だってあるかもね。そしたら、日本政府からじゃんじゃん”ご褒美”があるでしょうね。
  仮にオバマ氏が大統領になったら、彼の任期中には全米の支持者を対象に「OBAMAツアー」なんぞ企画して、
  ごっそり小浜市に連れて来ちゃいましょ! 小浜市民の何倍もの観光客が来ることは間違いなし!
   このアイディア、どう思います?「勝手に応援する会」の皆さん。それに、元福井県農林水産部長の市長さん。
  宮崎県知事なら、私が小浜市民ならやっちゃう...と 思うな。こんなチャンス、もう二度と無いからね



  餃子から見える中国農薬事情   2008. 2. 2

    2002年に発生した中国輸入の冷凍ホウレンソウから検出された残留性有機塩素系殺虫剤の事件も
   まだ記憶に新しいですが、今回の冷凍餃子事件も消費者の中国からの輸入食品への不信と不安感をさらに
   助長する事になったことは間違いありません。
    アジアモンスーンあるいは亜熱帯性気候地域を有する中国では、農薬を使用しないで農産物を生産することは
   極めて困難なことです。安定した農作物の栽培と収穫を得るために殺虫殺菌剤を使用することを全否定する
   つもりはありませんが、問題はそれら農薬の使い方・管理の仕方でしょう。

    中国に出回っている農薬の価格は、現地農家の所得から見れば割高な農薬も多くあり、農薬を使えずに
   栽培するという農家もありますが、都市部に持ち込まれる農産物や日本向食品の材料となる野菜などの農作物は、
   日本側輸入会社の指導や奨励とも相まってて、ほとんどの農作物に使用しているのが現状です。
    使用回数・濃度の基準などと合わせて、使用後の農薬袋や瓶の処理もずさんなことは、以前からよく知られています。
   日本の消費者の皆さんが、中国からの輸入食品に不安と不信感を募らせている一方で、私たち国内生産者にとっても
   見逃せない問題が発生しつつあります。それは、日本で禁止されていて中国で現在使用されている魚毒性の強い
   農薬の散布が、病害虫の耐性進化をもたらしていることです。それら耐性のついた病害虫が、台風や低気圧に伴う
   梅雨前線の移動とともに日本に飛来していて、使用基準の厳しい国内使用の農薬では効かなくなってきている..と、
   病害虫・病原菌の専門家は話しています。

    不安材料には事欠きませんが、今回の一部メディア報道にも問題は感じていて、原因の特定が出来ていない段階で、
    「中国側に原因ありき」を連想させる”容疑報道”は謹んでもらいたいものです。いたずらに日中間の国民感情を
    刺激するだけです。
    連日映し出される餃子の映像に、もう一年くらい餃子を食べなくても良いくらいの”満腹感”を味わせてくれたことには、
    お礼を言うべきでしょうか..(^_^;)


  シロウト目で見た外交    2007.10. 1

   9月30日現在の、北朝鮮の核問題を中心とした6カ国協議を見ていると、もう6カ国が集まって
  ”協議”する必要なんか無いように思えてしょうがない。
   核施設の無能力化をどうするか..な〜んて話し合いの裏で、すでに核保有を認めたアメリカと北朝鮮が
  直接の話し合いを二国間で続けていますが、核保有国である三カ国(アメリカ、ロシア、中国)が思惑として
  いるのは、核を持ってしまった北朝鮮とこれからどうやって仲良くお付き合いをし、自分達と同等の核兵器を
  持たせないように押しとどめるか..だけで、現在北朝鮮にある核施設の無能力化に向けた協議は、
  極東アジアの軍事バランスを考えた時に、都合よく使えるの韓国と日本向けのパフォーマンスに過ぎない
  のではないでしょうか。「核放棄」ではなく、「核の無力化」と表現しているのが、その意味合いを感じさせる
  証拠でしょう。
   北朝鮮が手にした”打ち出の核小槌”は、これまで北朝鮮が使ってきた瀬戸際外交から一段階も二段階も
  進んだ”ドラえもんのポケット”のようなもので、振りさえすれば、経済支援も食料支援もエネルギー支援も
  どんどん出てくる魔法の小槌でしょう。
   私が不満に感じているのは、独裁者が国を支配する北朝鮮や、自国のことしか考えていないアメリカ、
  上手くいけば漁夫の利を得られる..などと考えているロシアや中国でもない、私たちの政府に対してです。
  自国の国民が”人さらい”に合い、他国に連れ去られても、厳格で有効な対応や手段を自ら取らずに、
  アメリカや中国など他国に自国民の救出を懇願していることです。自国民を助けるためにあらゆる手段を
  執ることで他国のどんな非難を浴びようとも、そんなことは気にする全く必要はない、国民に愛され支持されて
  の国家だ..と思うのは、外交も国際社会との付き合い方にも無知なシロウトの浅はかな考えでしょうか。
   パスポートを持った日本人が故意に至近距離から射殺されても、「事態の詳細を把握する」とか言って、
  即座に相手に激怒していることを伝えられない対応は、日常茶飯事に海外に出かける自国民が、『あんなこと
  にはならないとしても、何かが起こった時、自分の国は素早い対応で事態に対応してくれるのだろうか』と
  不安感を抱いていることを、感じ取っているのでしょうか。
   拉致問題をはじめ、国民の生涯設計を不安に陥れている年金問題、被爆者認定問題、、アスベスト被害、
  薬害エイズや肝炎救済..どれをとっても自国民を大切にしない政府の存在では、憲法やその他の諸法律も
  いったい何のための、誰のための規範なのでしょうか。1999年、能登半島沖で発見した不審船を、時を置かず
  木っ端みじんに撃沈していれば、その後の外交で近隣諸国にナメられることはなかったでしょうに...。


 戻ることのない格差     2007. 2. 2
 
   今、「格差」が大きな社会問題となっています。「所得格差」「教育格差」「医療格差」、そして
  社会全体としての「経済格差」あるいは「社会格差」などなど。
   小泉前首相が、「ある程度の格差は社会の常だ」と言っていましたが、上に書いた様々な格差は、
  長期・短期に渡る国や地方自治体の政策、あるいはそれぞれの分野で流れてきた制度や仕組みと、
  それらを時には受入れたり拒否したりしながらも、付き合ってきた私たちがもたらした”積み重ね”の結果です。
  それらの格差は、これからの私たちの努力さえあれば、それなりに格差を改善したり縮小したりすることは、
  時間がかかるとしても難しいことではないように思えます。

   多くの人々が、最近の様々な出来事に対して「何かがおかしい」と感じていると思いますが、それは、
  今まで持ってきた「価値観」や「行動規範」に照らし合わせて、違和感や不可解さ、不思議とも思える
  感覚を覚えているからでしょう。実際、最近の出来事は”昔”には無かったことばかりです。
  私は、それは最近言われ出した格差以前のかなり前から始まっていた一つの格差が、引き起こしている
  出来事ではないかと思っています。それは、「心の格差」です。

   戦後の復興から経済成長期を経て平成の時代に入る少し前までは、政治家が家族や秘書に責任転嫁を
  する姿を知らなかったし、超一流と言われる企業の社長や首長、教育者など、人の上に立つ人々がテレビの
  前で頭を下げる姿を想像したこともないし、死ぬまで会社と一緒に..が突然解雇されるなんて、
  思いもしなかったはずです。
   セレブと言われる人達の豪邸や究極の料理がこれでもかとテレビでもてはやされたり、イジメを見過ごし
  自殺した少女の家で、座布団を敷き直して謝罪する教育者がいたことに唖然としたり...。
  真面目さとは裏腹の出来事が、舞い落ちる雪の数ほども。

   信頼していた多くのことがそうではなかったことを知らされ続け、長い時間をかけて私たちの心の奥では
  ”価値観の不協和音”が起きていたのだと思います。今までに培ってきた従来の価値観とここ数年受け入れざるを
  得なくなった新しい価値。それをどう自分の心に取り込んでいったらいいのか、整理さえつかない概念も
  いっぱいあるのではないでしょうか。数は少ないでしょうが、ある意味対峙する両方の価値観を融合させられ
  ないままキャリングしている人達の中に、心の中の不協和音を押さえきれずに、最低限のマナーや規律を
  守らない”モラルハザードの音色”として、現実社会に解決出来ない不満を放り出していると言えるでしょう。

  どことなく余裕やゆとりのあった社会のあり方が、些細なことまで規制されるようになってきて、その度に
  心の中にもゆとりが減り、モラルハザード音色が生まれやすい下地が出来てきているのだと思います。
   「心の格差」が現れてきた以上、この国の社会規範は、これまで維持してきた「不文律基本社会」から
  「法律中心社会」に変わっていくことでしょう。起きてくるすべての出来事を法で律し裁く”オーベイカ!”
  社会となる日がすぐそこまできています。

  「心の格差」を出来るだけ広げないためには、メディアを通じて繰り返し報道される不可解な出来事を
  見ても、感傷的に自分の中に受け入れるなんてことを避ける力を持つことでしょう。
  すべてのことが、あなたの周りで起こっているわけではないのですから。


   団塊世代におススメ    2006.10.20
   定年の時期を迎え、何かと取りざたされる「団塊の世代」の皆様。
  食べ物も十分になく、遊ぶ道具さえなかった時代に生まれて、凍てつくほどの辛抱とションベンに血が
  混じるほど(失礼!)の努力で、現代ニッポンの基礎と繁栄を築き上げてきた人達が今、注目を浴びています。
  退職金、貯蓄、年金など豊富な蓄財に支えられてゆとりある老後が暮らせる..とか、要介護年齢に達して
  からの財政負担が心配だ..とか、今まで寝る間も惜しんで働いてきたのだから、これからは自分らしさを
  大切にして過ごしてもらいたい..とか、あれやこれやと「小さな親切大きなお世話」的話が飛び交っています。

   団塊の世代の少し後にいる私が申し上げるのもおこがましい話ですが、うらやましいほどの老後を
  妬まわれても、ゆっくり休んで下さいと優しい言葉をかけられても、ほとんどの団塊青年達はそんな
  過ごし方なんて結局は出来はしないでしょ。長年身に付いた”の〜んびりなんてしていられない
  ”習性は、これからも健在のはず。
   今、日本の戦後と同じ状況を抱えている中国。沿海部の急速な経済発展と内陸部の貧しい社会環境は、
  都市部に人口が流出し地域の農村が一時停滞した、かっての日本の姿によく似ています。そんな環境下で
  力を発揮し不可能を可能にし、世界最長の橋やトンネル、世界に通じるモノ作りをしてきた底力を今一度
  発揮する場所として、中国は相応しいと思いませんか。
 
   海外協力隊。欧米の隊員は、畔の上に立って口で指導をする。日本の隊員は素足で田んぼに入り、
  現地の人達と同じ目線で手取り足取り指導をしてくれる。中国が今、待ちこがれているのは、日本人の
  持つ「解決するまでは休まない」「分かるまでとことん話し合う」「やれるだけやってみよう」「納得いくまで
  完成度を求める」精神と気力そして団塊世代の確立された”やり遂げる”価値観でしょう。
   大陸性の人達には見られない貫徹と粘りの素質がなければ、垂れ流し放題の環境問題や洪水から
  社会財産を守る治山治水をやりこくることは難しいでしょう。そんな時代を経験し生き抜いてきた団塊青年
  にしか出来ない”芸当”を、素直に助けて欲しいと言えない中国になだれ込んで披露するのは、いかがでしょうか。
  えっ?それが余計なお世話だっていうんですか? ハイ、スミマセン<(_ _)>


 いけにえ社会       2006. 9.1

   誰かが命を落とさないと、事が進まない社会。
 古くはカネミ油症、水俣病、イタイイタイ病、薬害エイズ、院内感染...。
 最近では、回転ドアにエレベーター、アスベスト、プール..挙げたらきりがない。
 衝突事故を起こす交差点。何度ぶつかっても物損や怪我なら一旦停止標識止まりなのに、
 死亡事故が起きれば信号機..な〜んて言うのは、どこにでもある話です。
 早くからその危険性や問題点が指摘されていても、そうなる前に手を打てないのは、何故なんでしょうか。
 「想定外です」では、命の重さや大切さを説いても空しいね。
   犠牲になった人達を「生贄」と呼ぶのは不謹慎で、ご遺族には申し訳が立ちませんが、お許し頂きたい。
 何の落ち度もない人達が命を奪われることで、改善や改良が施されるのは、社会全体から見れば
 やっぱり「生贄」としか言いようがありません。
 それにしても、亡くなった幼子の生前を何度も映しだし、関係者や関連組織を執拗に責める報道は
 正義の味方でしょうか。映す方も見る方も、それが我が子だとしても全国に映し出されることに堪えられる
 というのでしょうか。私ならムリです。写真も画像も絶対提供しないし、他の誰でもそうすることは
 して欲しくありませんね。



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