「特別栽培農産物」ってなぁ〜に? .....食品表示ガイドライン改正で何が変わるの?
伝統食を復権させ、豊食の時代を.......スローフードの価値観を考える
口蹄疫も心配ですが...............狂牛病BSEもお忘れなく
新所得安定政策をお待ちします........その金は、海外旅行にでも使おうか
定年帰農がハヤっている............少年時代の自分を取り戻すために
農薬現物支給は環境保全に逆行...... 水田農業共済の現場で行われていることの不思議。
直接所得補償は山間地をダメにする.... 執行猶予つき判決的補助金の効果は...。
新農業基本法で農業の再生なるか..... 消えゆく農村のための処方箋でしかない
改正JAS法のゆくえ(後編).......... .消費現場が落ち着くまでには数年かかる
改正JAS法のゆくえ(前編)........... 本当に消費者のためになるのか
11年産米品質低下の原因を考える..... 原因は「気象」ではないと思う理由
「有機認証制度」は役に立つのか.......有機表示○適マークとしての存在価値
自国の食糧をどうするのか.......... 忍び寄る穀物商社−その戦略と思惑
減反政策の矛盾と限界............ 転作作物の定義と地目の認定をどうするのか
オレのコメがいちばんうまいんだ........ 外の世界を知らないコメ生産者の意識
農業の世界に飛び込む心構え10ヶ条... .新規就農者が元気に農業をするために
「他産業並」発想のない農政の現実......現状追随志向が地盤沈下をもたらしている
「他産業並」の農業経営の出発点...... 収入面だけでは「他産業並」にはなれない
低コストはコスト低減と同義語ではない... .経営上のコストの位置づけを考える
「家族協定」指導は許されるか.........農業分野はそれほど遅れているのか
コメ消費拡大、コメ余り解消の決定版.....これぞ世界を包括する究極のコメ余剰解決法
無理なくコメ産直に切り替える方法......3年で自立経営に移行するための手法
「特別栽培農産物」ってなぁ〜に? 2003. 6.15転記
ご存じですか?”特別栽培農産物”って。
平成間近い昭和63年に「特別栽培米」制度が出来て以来、昭和18年から
続いてきた「食糧管理法」を改めた、平成11年施行の”新食糧法」また、JAS法の
改正など、生産や流通の段階で通常の農産物とは異なる栽培を行っている農産物の扱いを
区別して、「特別」の表示がされてきました。有機農産物認証などもその一環です。
最近社会問題にまで発展したBSE(恐牛病)、偽装表示問題、果ては有機認証団体
のデータ改ざんなどなど、消費者を混乱させている食品表示(もちろん中身も)方法を、
農水省が全国的に一元化しようと作業を進めています。結果として、特別栽培農産物の
条件が厳しくなります。農薬・化学肥料のどちらも慣行より五割以上減らすことが
最低基準で、農薬だけを五割以上減らした減農薬や無農薬栽培、化学肥料だけを五割以上
減らした減化学肥料・無化学肥料栽培は新基準には適合しないことになります。
表示面では、これまでの「減農薬・減化学肥料栽培」のような区分表示を廃止し、
「特別栽培農産物」に統一されます。農薬や化学肥料の節減状況は表示欄内にサブ表示で
記載されることになります。ただし、新ガイドラインに添って表示するかどうかは
あくまでも生産者・流通業者の任意判断に任せられます(法的強制力がないため)もちろん、
農薬や化学肥料削減の実体がないのに「減農薬」「無農薬」などと記載した場合は、
「生鮮食品表示基準」の禁止事項を犯すことになり罰則の対象になります。お米は年一作で
年をまたいで流通するため、実施は16年産(16年の秋収穫)からになる見通しです。
農場では今年秋からのお米の一部に「福井県有機認証」を取り入れます。以前から
お話ししていますように、お客様との信頼関係が一番ですが、客観性の必要性を重視し、
すでに実施しているDNA(遺伝子)検査に加え、有機認証栽培認証とそれに伴う栽培記録簿
(トレーサビリティ)及び圃場検査も受け入れ予定をしています。
伝統食を復権させ、豊食の時代をよみがえらせたい 2002. 5.10転記
「商系アドバイス」記事抜粋 神戸山手大学 島田景夫教授講演から
(お米の生産・流通・小売などの業界情報誌に掲載された記事です)
@ デンプン軽視とタンパク偏重
穀類、イモ類などのデンプン源に恵まれ、アジアの風土に育った食べ物をそこに住む
人間が食することが理にかなっていることであり、 緯度が大きく違っている欧州
(主にドイツから取り入れた)の栄養学を明治以来基本としてきたことに、大きな間違い
がある。
A ヒトという動物の食性は簡単には変えられない
文化や習慣というものは変わりやすいが、ヒトという動物の能力が変わるためには
数千年の歳月を必要とする。現代人の身体は平安時代の人々の身体と何ら変わって
いない。急激に「変わった」食物が、全然「変わらない」現代人の体内に入って
悪影響を与えているのが、今の日本人の現状だと考える。西欧食文化は「日本人種」
になじまない。
B 寒冷地起源の”代用食文化”を模倣している
北に行くほど油の摂取量が多く、牛乳は南ではほとんど飲んでいない。ミルクを飲む
文化は、寒冷地と乾燥地で生まれた。どちらの地も作物が上手く育たないという制約から、
食物の代用としてミルクが存在するようになった。
C 栄養素至上主義から脱却し、ヒト食性を真剣に考える時が来た
日本人の食生活は一貫して「ほうしょく」の時代を過ごしてきた。1960年頃までは
食性と調和した「豊食」の時代だった。その後、輸入食糧が急激に増加し、「飽食」の
時代になり、80年代以降は「呆食」、今ではこれも通り越して身体能力をも崩壊させる
「崩食」の時代にさしかかっている。デンプン摂取は後進国の食生活などという変な文化的
尺度に惑わされず、目に見えない「栄養素主義」から脱却し、ヒトの食性と見事に
調和していたかつてのような食生活をもう一度作り上げ、日本人だということ、日本と
いう風土の中で生活していることを冷静に見つめ直す時が来ている。
口蹄疫も心配ですが 2001. 9.20転記
まず、狂牛病が、人にうつるのか?というのですが、これは、うつるというか、
ヤコブ病という病気の原因が、 狂牛病になった牛の肉を食べたからだと言われてます。
何年か前にイギリスで大量発生したとき、イギリスの政府は、はじめそのことを
否定してましたが、後で認めました。 牛が狂牛病になる原因は、飼料に牛や羊などの
骨や内臓などを粉末にしたミート・ボーン・ミールを使うからだといわれています。
これは、たんぱく質として欧米ではよく使われています。 日本では、魚粉が使われる
ことが多いようですが。 ただ、完配(完全配合飼料 もうなにもかも混ぜてある餌)に、
どんなものが使われているのかは、畜産農家ではないのでくわしくは知りません。
3月2日付朝日新聞の朝刊より抜粋記事
◆◆◆◆◆◆半年以上滞在者「献血お断り」◆◆◆
人に感染する恐れがある狂牛病について、専門家でつくる厚生労働省の調査会は3月1日、
感染者の血液が入り込むのを防ぐために、従来の英国に加えフランス、ドイツなど計七カ国に
1980年以降、半年以上滞在した人からの献血は断る−とする案を提言した。(以下略)◆◆
七カ国はイギリス、フランス、ドイツ、アイルランド、スイス、ポルトガル、スペインです。
なんでもアメリカにも同じような規制があるそうですが、そちらは滞在期間が「10年以上」
だそうです。そりゃアメリカ国内で「半年以上」ヨーロッパにいた人なんて対象にしたら
ものすごい数になっちゃいますよね!1980年以降のことなら私が農業実習で渡米していた
1975−76年はたぶん大丈夫でしょう(毎日肉、肉の食生活だった!)その頃ヨーロッパに
駐在していた人から現在に至るまでみんな狂牛病にかかる恐れがあるっていうことになる
わけでしょう? これって冗談じゃなくとっても恐ろしいことだと思いますが、皆さん、どう
思いますか?なんか検査でわかることできないんでしょうか?(エイズのように・・・)
ヨーロッパではあのマクドナルドはどうしてるんだろう? 日本のハンバーガーは輸入牛肉
100%なんて謳い文句もあったような気がするけれど・・・
なんか、世界で騒がれる病気の類って、アメリカやヨーロッパから発生するような気がしま
せんか
新所得安定政策をお待ちします 2000.12.10記
新しく就任した谷津農相が、就任記者会見で”意欲ある専業農家”に直接所得補償対策を
実施したいとする発言をしました。これまでは山あいの農家に対して行われてきていますが、
これを拡大するという内容です。自民党の考えでも、これまであるいはこれからも国の施策に
従う”いい子農家”を対象とするようです。専業農家を苦しめ、体力を失わせてきたのは四半世紀
以上にわたる強制減反政策とカメレオン政策です。
(猫の目農政なら目の動きだけですが、カメレオン農政では、次に全く違う色に変化してしまう)
国の新しい農業政策が出るたびに、農家の「他産業並」経営は萎んできたことをおわかり
なのでしょうか。これまでの減反政策は、「他産業並」経営を育てようとするものではなく、
結果、自民党の票確保と農業関係従事者(農水省職員、農協職員、その他農家を取り巻く各種職員等)
の保職を第一としてきたようなもので、予算のバラまきでしかなかったように思えます。
本当にこの国に農業が必要であるというなら、他産業で生計を成り立たせている兼業農家に
手厚い農地離託方策をおこない、その農地を専業農家に集中すべきではなかったのか。
これから先も重点的な補償政策は”意欲ある専業農家”ではなく、これら兼業農家に対し、
行われるべきだと考えます。そうでなければ、WTO(世界貿易機関)で決定される自由化を全面
容認し、その衝撃波を受けるであろう”意欲ある専業農家”に対し、これ以上の面倒は見ない
「手切れ金」的性格に思われても仕方ないでしょう。まかり間違って、私にこのたぐいのお金が
来ることになっても、「所得補償」等とは考えずに、その金で海外旅行に行くか宝くじにでも
使うことにしますので、もらえるものならできるだけ早くして欲しいと心待ちにしています。
ここ数年前頃から、サラリーマン生活を無事?卒業した定年組の中に新たに農業を始めた
人たちがいます。長年にわたってサラリーマン生活を送ってきた住居をあとにして生まれ育
った故郷にもどって農業を始める人、新しい農地を購入して再出発する人など様々ですが、
これらの現象を「定年帰農」と呼び、若い世代で会社員生活から農業に戻る場合と区別されます。
区別される大きな理由は、”生活基盤”です。若いうちに農業を始めると言うことは、それ
まで給与で成り立たせていた生計を自営業でもある農業収入で生計を成り立たせていこうとする
ことですが、定年帰農者の生計は「年金生活」が基本です。一部では、生産農産物の販売で年金
生活に上乗せするほどの収入を得ている人たちもいます。なぜ定年後の第2の人生に農業を選ぶ
のか。私は次のように考えます。
近年定年を迎える世代は、社会に出て働き始めた時代が昭和40年代前半。日本が高度経済
成長期の絶頂に走り出したころではないでしょうか。彼らの生い立ちは、のんびり時代の農村に
食べ、遊び、学び、生活してきた所にあります。その彼らが社会に出て「会社」組織の中で生計
を立てていくことになり、それまでに育ってきた環境や身につけてきた価値観を軌道修正しなけ
ればならなかったはずです。そして、走り始めてしまったクルマを止めることはかなわず、
数十年を生きてこられたのでしょう。
その長きを終え、せかされるように走り続けることから解き放された時、彼らの胸に去来した
ものは、幼年時代の”古き良き時代”だったのではないでしょうか。その心の時代をもう一度
耕して、その時代が十分に豊かであったことを確認し、大切にしたかった価値観を思い起こしたい
からではないのでしょうか。定年帰農した多くの人たちにやる気が満ちあふれていて汗を掻いて
いる様は、まさに多感な”少年時代”の姿です。やる気でする農業人生を応援しまっしょ。
農薬現物支給は環境保全に逆行 2000.10.25記
農業の世界では、作っている作物が自然災害や病害虫の異常発生などに遭って、
その収益に大きな影響を及ぼすと判断したとき、保険金を支払うような制度=農業
共済制度が設けられています。
稲作農家の場合は、全国で栽培されていること、主食であることなどから法律に
よって一定面積以上の栽培を行っている農家は強制加入の義務が課せられています
(ほとんどの農家が当てはまりますが..)
この制度の中では、当然のことながら病害虫の発生などについては予防措置
(予防農薬散布)をきちんと行っていて、それでも被害に達したときに補償の対象に
なるわけですが、これらの業務を担当している各地の農業共済組合の中には、病害虫
予防のために作付け面積に応じて農薬(殺虫殺菌剤)を農家に支給するところがあります。
共済制度そのものからすれば至極当然なのかもしれません。
しかし、ここにも農家の自主性を無視した考え方が横行しているようです。
自然災害はともかくとして、病害虫の発生を予察するのは農家であって、農薬を散布する
かどうかの判断もそれぞれの農家の自主性で行われるべきです。作付け面積を算定根拠に
した農薬の強制配布は、病害虫の発生予察とはなんら相関関係・因果関係ともに存在し得ず、
配布された農家の中にも「くれるんだったら撒きましょうか」ぐらいの意識でその農薬を
むやみに散布している姿も見受けられます。単純に計算しても福井県単位だけでも、およそ
300トン以上の農薬が一年間に強制配布されていることになる。
環境に配慮した農業のあり方や実践が叫ばれていながら、一方でこのような環境保全に
挑戦するがごとくの方策は早急に慎むべきであろう。消費サイドの環境や安全性に対する
意識は、農家や農業関係機関に携わる職員の認識をはるかに超えて進んでいることにさえ
気がつかないのであれば、あとは衰退の道しか残っていない。
直接所得補償は山間地をダメにする 2000.6.18記
昨年、新しい”農業基本法”が施行されましたが、その柱の一つとして、中山間地=
山あいで農業を営む農家に対して、そこで農業を続けて(最低5年)くれれば国が補助金
を出してくれる制度があります。離農などで中山間地の農地が荒れれば土壌・景観保全や
大雨が降ったときなど下流域(都市部)に被害が出やすくなる−などの理由からでしょう。
しかし、農業関係の行政、農協、農家以外の一般の人々にはあまり知られていない
でしょうが、制度の中では、田んぼの土手の傾斜角度の度合いで補助金をもらえる人
もらえない人の線引きがあったり、自治体の首長に裁量権があったり−と、制度を受ける
側から見れば国民のコンセンサス(合意)を得ていない補助金は”生活保護”を受けている
ようで、地域住民からは「素直に受け取れない」旨の発言を聞きます。農村、特に山あいに
暮らす人たちには、これまでに築いてきた濃厚な住民同士の信頼関係は、現代社会の変化の
中でも根強く存在しており、金銭的に安易な分配を行うことは、これらの関係をゆがめること
になりかねません。個人の田畑の条件で補助金の交付を振り分けるのではなく、中山間地を
離れることなく、今後も住み続けてほしいと願うのであれば、せめて集落単位で交付し、
その使い道についても、そこに住む人たちの自主性にゆだねられてもいいのではないだろうか。
平地に住んでも山間地に暮らしても同じ日本だし、生産される農産物も同じです。山あいに
暮らす人たちの自尊心や自主生活権、住民相互の信頼感を踏みにじるような今回の政策は
愚策で、もっと深く議論されるべきです。県レベルや市町村でも国策の毒性を少しでも薄める
配慮が必要です。
新農業基本法で農業の再生なるか 2000. 3.14記
ならないと思うんだけど....ま、言うだけ言ってみましょうか。
43条からなる「食料・農業・農村基本法」が昭和36年に制定された旧農業基本法を
廃止して昨年7月に公布、制定されましたが、その中身をごくごくかいつまんで言って
みればこうなります。
経済中心にこの国は頑張ってきたけど、これから先もそれを捨てるわけにはいかない。
が、物質中心の社会のあり方もそろそそ考え直さなきゃいかん時期にきていることは
確かなことなんで、この際農家を始め、農協、町や村の職員、消費者も一踏ん張りして
もらえないか。ついては山あいに住んでいる農家には、下流の土木工事にお金をつぎ込む
ことはままならくなったし、他国からいちゃもんがつかないようなお金をあげるから
そのままそこを離れないでもらえないか。ついでにたまにはサラリーマンの人たちの
息抜きの場所を演出してもほしいので。平地に住む百姓には自給率を上げるためという
錦の御旗を掲げて、ほったらかしにしてきた麦や大豆の国産品を増やすようにさせ、
備蓄赤字が増える米はなるべく今までのように作らないようにしたい。ただ付き合いが
あるので外国からの輸入を止めるわけにはいかないので、形を変えたわずかばかりの
補助金ですが、ばらまいてあげますよ。
てな具合でしょう。
第2条では、食料が人の生命維持に欠くことができないもので、最低限必要な分は
国内で生産・供給される必要性を説き、第3条では農業の多面的機能、第4条では、農業者
の存在の大切さを訴えています。ならば、これら一つ一つをつぶすようなことをこれまで
行ってきた施策はいったい何だったのか。
全国で一年に就農する若者の数が一企業の新採用分にも満たなくなったのはなぜか。
減反をしないと外国から輸入米が入って価格が暴落すると説明したのは誰か。山あいの
猫の額ほどの田んぼにまで一律減反を強いられて放棄したのは農家のせいとでも言うのか。
農家が癒されずに他人を癒すことができるとお考えなのか。再生と再構築を唱えるにはあまりにも
遅すぎた。
改正JAS法のゆくえ(後編) 2000. 2.12記
それぞれの問題点について、前編で指摘しましたが、先月下旬に国=農水省から当面の
施策内容について中身が明らかにされました。今回はその点についてお話しします。
「改正法」自体は、この4月からスタートしますが、2段階の経過措置をとったあとで
本格的に運用をしたいということです。つまり、今回の改正の中には法を守らない者や
団体に対して新たな罰則規定が盛り込まれていて、最高50万円以下の罰金を課せられる
ことになっていますが、4月から完全施行するとほとんどの「有機」関係者が処罰の対象と
なってしまうので、相当期間延長をする−ということらしいのです。 具体的な経過措置
として、
≫ 経過措置その1
加工をしない農産物を「有機農産物」として指定するのを10月まで延ばす
≫ 経過措置その2
10月以降も経過措置(期間未定)をとって、表示の罰則規定を適用しない
となっています。
全国8カ所ある「農林水産消費技術センター」で農家などが直接 有機の認証を受けるには
栽培面積、販売量に関係なく一律23万円の手数料が必要となります。民間の認証機関では、
それぞれの判断での認証料と独自の基準に従った栽培管理なども要求されることになる
でしょう。最終的には、その負担は”エンドユーザー”である消費者にお願いすることに
なるのでしょう。ここで問題になるのは、自らがその労力と費用を栽培研究に充てて会得した
品質向上のための技術や秘伝が、認証を受けることによりその認証機関の勢力に取り込まれて
しまったり、経営自体が傘下に甘んじるようなことになるおそれがあり、”個性”を失うかも
しれない点です。すでに、一部民間の機関にそんな動きと意図を感じているところがあります。
本格的な運用が始まるまで は、@認証を受けたモノとAそうでないモノがそれぞれ、
@「」(カッコ)なしの有機農産物、A「」(カッコ)付で「有機農産物」と表示されて
混在することになります。民間認証機関の認証要件が千差万別であることを考えれば、
トッテモまともには対応できそうにはありません。私もそうしますが、販売農家のほとんどは
こんな法で消費者の信頼を得られるとは考えていなくて、実際、認証など受けないという
人たちが多いというのが現状のようです。経過措置が長引けば、混乱するのは消費現場であり、
統一性のない表示のあり方が消費者にとって買い物をするときの助けになるのかはなはだ
疑問といわざるを得ません。
昨年秋、国会でJAS(日本農林規格)法改正が行われ、今年の4月から施行されることになりました。
今回の改正の特徴は、おおよそ3つあり
1.食品表示の拡大
従来の64品目限定表示 → すべての生鮮食料品の原産地表示
2.有機食品の検査認証制度確立
「有機」表示の混乱と氾濫 → 有機食品の規格制定=勝手に表示できない
3.JAS規格制度全体の見直し
JAS規格認定機関の規制緩和 → 民間機関の参入、国際規格に合わせた表示等となっています。
これらは、消費者から見て、スーパーや食品店、あるいは産直での食品の購入時に適切な表示に
基づいた判断ができるようにしたものです。数年前から農水省から出されていた「有機農産物の
ガイドライン」もこの改正JAS法のなかに取り込まれています。
つまり、いままで”まがい物””半分以上混ざっていても”できた「有機」の表示は、栽培した農産物が
3年以上無農薬・無化学肥料で使用された土地で生産されたものでなければ、表示してはならないこと
になったのです。「有機」を連想させるようなまぎらわしい表現を使って表示する事も禁止されるでしょう。
流通経路で多かった有機表示の乱用が防げることでは、私も大賛成です。しかしながら多くの問題点も
指摘しておく必要があるようです。その問題点としては、@ 生産者から消費者に直接わたらない限り、
表示はできない。例えば、トマトが有機で生産されてもケチャップに加工された時点で有機の表示ができない。
A 有機農産物(3年以上無農薬・無化学肥料)であることを証明してもらわなければ表示できない。
証明をする民間の「有機認証機関」から毎年あるいは毎回証明をもらうための多額の費用を生産者
(流通・小売業者)が負担しなくてはいけない。
B 民間の「有機認証機関」が続々と設立されていて、将来過密になったとき、経営を優先して有機で
ないものまでも有機として証明書を出すおそれがある。
C 民間の「有機認証機関」の証明の基準や、表示のため農産物に張り付ける認証シールが統一的で
なく、買い物時にどれが本当かわかりづらい。(続く)
11年産米品質低下の原因を考える 1999.12.18記
11年産米品質の全国的な傾向として、前年よりも評価が低く、特に北陸地帯では
お米の登熟期に米粒に必要な水分が何らかの影響で十分に満たされないと起こる「乳白」
(お米が白く濁って見える)現象が大発生しました。精米して袋に詰めると”見づら”が
悪くなるので品質の等級も低く評価されます。
この、「乳白」の発生について農業指導機関では、「夏場の異常高温が原因と思われる」
などと分析しているようですが、私は気象が原因ではなくて、最近の夏場の高温状況に合わせた
稲の肥培管理をしてこなかった農家自身と、これらの気象変化に対応する栽培技術の確立あるいは
普及・啓蒙を怠ってきた指導機関のあり方がもたらした結果のように感じています。今までそれが
見えなかったのは、ある一定の高温期間が続かずに被害発生の一歩手前で終息し、その限界を超え
なかっただけのことなのです。
一般的な稲の栽培では、田植え後できるだけ早く収量確保に必要な茎数を確保して、それが
できたら水田の水を落として、水田を乾かすとともに、不必要なチッソ成分をも切る−という
やりかたなのです。この一連の栽培方法は、一見合理的に思えますが大きな落とし穴があります。
それは、早い時期に茎数を確保するための追肥が不必要な「分けつ」を促し、田植え後一ヶ月
足らずの間に一株で40〜50本もの茎数を人為的・強制的に作り上げてしまうことになります。
その後、「中干し」と称して落水を行い、再び入水しますが、「中干し」期間中に畑状態になり
根から酸素を取り込むように体質改善されてしまった稲の根を、一挙に入水することで”窒息死”
させてしまっているのです。頭(多茎数)デッカチを死にかけの根が支えられるはずはありません。
そして迎えた夏場の高温期、稲は自らの乾き(蒸散)を防ぐのがやっとで、とても子ども(米粒)に
水を分け与えてやるだけの体力も余裕もなくしてしまっていたのです。
「おらっちは、たっぷりと水を張っていたのになんで「乳白」になったのか」と首を傾げても
吸えないものは吸えないのです。おなかをこわした病人の目の前にご馳走をぶら下げても食べら
れるもんじゃないでしょ。
申し上げるまでもなく、そんな作り方を私はしていませんので「乳白」の発生などありません
でした。いくら、品質向上を叫んで、肥料をとっかえても同じ現象が起これば同じ結果が生まれ
るだけでしょう。結局は、自然をコントロールできると錯覚していたことを自覚し反省し、
改めることが肝心です。強制的な栽培をしなくても、稲は十分に自らの力を発揮して応えてくれる
ものです。
「有機認証制度」は役に立つのか 1999.3.19記
農林水産省の有機農産物表示ガイドラインが、日本農林規格(JAS)法を改正する
方向で法的な拘束力を持とうとしています。この立法化の動きにあわせるかのように、
各地で民間の有機認証機関なども始動しています。10年来有機肥料によるコメの
生産・販売を模索してきた生産者の一人として大いに関心を寄せているところです。
しかしながら、これらの動きは現在実施されあるいは表示されている「食味値」と
同じではないでしょうか。やれ80点だ90点だと表示された米袋であっても結局の
ところはお客様の食感に勝るものはありません。70点以下の表示を好んでする小売が
いるでしょうか。試験漬けの日本社会では80点が合格点としての印象を受けますが、
購入したコメの表示が80点でも食べてみて納得できない食味であればその表示は
かえって信頼を損ねるものになってしまうはずです。
今回の有機表示の問題はもっと複雑です。
民間その他の有機認証機関が基準としている規格は、すでにアメリカなどで実施されて
いる内容を参考に認証を行うようですが、それが本当に有機肥料だけで農薬を使わずに
生産されたものかどうかを知っているのは生産者だけで、第三者による栽培確認や
残留農薬などの成分分析などが行われたとしても、流通段階での殺虫薫蒸処理や
通常栽培されたものとの分別精米、小売段階での品質管理など多くの問題が置き去り
にされたままです。
結局のところは、環境汚染問題や食の安全に責任を持つ生産者と相対的に生産現場の
経済を支える消費者との間の”有機的”信頼関係によって”認証”されるものでしょう。
消防法に定められた○適マークもそれですべてが宿泊客の安全に対して合格を意味する
のではないはずです。雨後の竹の子のように設立される認証機関の認証シールが米袋に
貼られても消費者の信頼を勝ち得るには、地道で根気のいる対応が要求されます。
認証機関も権威付けのために官僚の天下りの受け皿に甘んじるようなものであれば、
同じく「信頼」とは疎遠な存在となるでしょう。