主張の広場ライブラリー

農業を考える

 ここでの発言は特定の相手を攻撃・中傷するものではありません。真摯な思いで主張しています。
また、イラストなどの挿し絵を挿入するとページを重くするので文章を中心に記載されています。
表題末尾の日付は、実際の記述日やお客様に出している「通信」からの転載を示しています
ご意見等はE-mail webmaster@noyufarm.jpまで


  農業を考える


   「特別栽培農産物」ってなぁ〜に? .....食品表示ガイドライン改正で何が変わるの?
   伝統食を復権させ、豊食の時代を.......スローフードの価値観を考える
   口蹄疫も心配ですが...............狂牛病BSEもお忘れなく
   新所得安定政策をお待ちします........その金は、海外旅行にでも使おうか
   定年帰農がハヤっている............少年時代の自分を取り戻すために
   農薬現物支給は環境保全に逆行...... 水田農業共済の現場で行われていることの不思議。
   直接所得補償は山間地をダメにする.... 執行猶予つき判決的補助金の効果は...。
   新農業基本法で農業の再生なるか..... 消えゆく農村のための処方箋でしかない
   改正JAS法のゆくえ(後編).......... .消費現場が落ち着くまでには数年かかる
   改正JAS法のゆくえ(前編)........... 本当に消費者のためになるのか
   11年産米品質低下の原因を考える..... 原因は「気象」ではないと思う理由
    「有機認証制度」は役に立つのか.......有機表示○適マークとしての存在価値
   自国の食糧をどうするのか.......... 忍び寄る穀物商社−その戦略と思惑
   減反政策の矛盾と限界............ 転作作物の定義と地目の認定をどうするのか
    オレのコメがいちばんうまいんだ........ 外の世界を知らないコメ生産者の意識
   農業の世界に飛び込む心構え10ヶ条... .新規就農者が元気に農業をするために
   「他産業並」発想のない農政の現実......現状追随志向が地盤沈下をもたらしている
    「他産業並」の農業経営の出発点...... 収入面だけでは「他産業並」にはなれない
    低コストはコスト低減と同義語ではない... .経営上のコストの位置づけを考える
    「家族協定」指導は許されるか.........農業分野はそれほど遅れているのか
    コメ消費拡大、コメ余り解消の決定版.....これぞ世界を包括する究極のコメ余剰解決法
    無理なくコメ産直に切り替える方法......3年で自立経営に移行するための手法



   「特別栽培農産物」ってなぁ〜に?   2003. 6.15転記

  ご存じですか?”特別栽培農産物”って。
   平成間近い昭和63年に「特別栽培米」制度が出来て以来、昭和18年から
  続いてきた「食糧管理法」を改めた、平成11年施行の”新食糧法」また、JAS法の
  改正など、生産や流通の段階で通常の農産物とは異なる栽培を行っている農産物の扱いを
  区別して、「特別」の表示がされてきました。有機農産物認証などもその一環です。

   最近社会問題にまで発展したBSE(恐牛病)、偽装表示問題、果ては有機認証団体
  のデータ改ざんなどなど、消費者を混乱させている食品表示(もちろん中身も)方法を、
  農水省が全国的に一元化しようと作業を進めています。結果として、特別栽培農産物の
  条件が厳しくなります。農薬・化学肥料のどちらも慣行より五割以上減らすことが
  最低基準で、農薬だけを五割以上減らした減農薬や無農薬栽培、化学肥料だけを五割以上
  減らした減化学肥料・無化学肥料栽培は新基準には適合しないことになります。

  表示面では、これまでの「減農薬・減化学肥料栽培」のような区分表示を廃止し、
  「特別栽培農産物」に統一されます。農薬や化学肥料の節減状況は表示欄内にサブ表示で
  記載されることになります。ただし、新ガイドラインに添って表示するかどうかは
  あくまでも生産者・流通業者の任意判断に任せられます(法的強制力がないため)もちろん、
  農薬や化学肥料削減の実体がないのに「減農薬」「無農薬」などと記載した場合は、
 「生鮮食品表示基準」の禁止事項を犯すことになり罰則の対象になります。お米は年一作で
  年をまたいで流通するため、実施は16年産(16年の秋収穫)からになる見通しです。

   農場では今年秋からのお米の一部に「福井県有機認証」を取り入れます。以前から
  お話ししていますように、お客様との信頼関係が一番ですが、客観性の必要性を重視し、
  すでに実施しているDNA(遺伝子)検査に加え、有機認証栽培認証とそれに伴う栽培記録簿
  (トレーサビリティ)及び圃場検査も受け入れ予定をしています。


  伝統食を復権させ、豊食の時代をよみがえらせたい  2002. 5.10転記
     「商系アドバイス」記事抜粋 神戸山手大学 島田景夫教授講演から
     (お米の生産・流通・小売などの業界情報誌に掲載された記事です)
 
  @ デンプン軽視とタンパク偏重
  穀類、イモ類などのデンプン源に恵まれ、アジアの風土に育った食べ物をそこに住む
  人間が食することが理にかなっていることであり、  緯度が大きく違っている欧州
 (主にドイツから取り入れた)の栄養学を明治以来基本としてきたことに、大きな間違い
  がある。

  A ヒトという動物の食性は簡単には変えられない
  文化や習慣というものは変わりやすいが、ヒトという動物の能力が変わるためには
  数千年の歳月を必要とする。現代人の身体は平安時代の人々の身体と何ら変わって
  いない。急激に「変わった」食物が、全然「変わらない」現代人の体内に入って
  悪影響を与えているのが、今の日本人の現状だと考える。西欧食文化は「日本人種」
  になじまない。

  B 寒冷地起源の”代用食文化”を模倣している
  北に行くほど油の摂取量が多く、牛乳は南ではほとんど飲んでいない。ミルクを飲む
  文化は、寒冷地と乾燥地で生まれた。どちらの地も作物が上手く育たないという制約から、
  食物の代用としてミルクが存在するようになった。

  C 栄養素至上主義から脱却し、ヒト食性を真剣に考える時が来た
  日本人の食生活は一貫して「ほうしょく」の時代を過ごしてきた。1960年頃までは
  食性と調和した「豊食」の時代だった。その後、輸入食糧が急激に増加し、「飽食」の
  時代になり、80年代以降は「呆食」、今ではこれも通り越して身体能力をも崩壊させる
 「崩食」の時代にさしかかっている。デンプン摂取は後進国の食生活などという変な文化的
  尺度に惑わされず、目に見えない「栄養素主義」から脱却し、ヒトの食性と見事に
  調和していたかつてのような食生活をもう一度作り上げ、日本人だということ、日本と
  いう風土の中で生活していることを冷静に見つめ直す時が来ている。


   口蹄疫も心配ですが   2001. 9.20転記

     まず、狂牛病が、人にうつるのか?というのですが、これは、うつるというか、
  ヤコブ病という病気の原因が、  狂牛病になった牛の肉を食べたからだと言われてます。
     何年か前にイギリスで大量発生したとき、イギリスの政府は、はじめそのことを
  否定してましたが、後で認めました。 牛が狂牛病になる原因は、飼料に牛や羊などの
  骨や内臓などを粉末にしたミート・ボーン・ミールを使うからだといわれています。
  これは、たんぱく質として欧米ではよく使われています。  日本では、魚粉が使われる
  ことが多いようですが。 ただ、完配(完全配合飼料 もうなにもかも混ぜてある餌)に、
  どんなものが使われているのかは、畜産農家ではないのでくわしくは知りません。
   3月2日付朝日新聞の朝刊より抜粋記事
    ◆◆◆◆◆◆半年以上滞在者「献血お断り」◆◆◆
   人に感染する恐れがある狂牛病について、専門家でつくる厚生労働省の調査会は3月1日、
  感染者の血液が入り込むのを防ぐために、従来の英国に加えフランス、ドイツなど計七カ国に
  1980年以降、半年以上滞在した人からの献血は断る−とする案を提言した。(以下略)◆◆
  七カ国はイギリス、フランス、ドイツ、アイルランド、スイス、ポルトガル、スペインです。
  なんでもアメリカにも同じような規制があるそうですが、そちらは滞在期間が「10年以上」
  だそうです。そりゃアメリカ国内で「半年以上」ヨーロッパにいた人なんて対象にしたら
  ものすごい数になっちゃいますよね!1980年以降のことなら私が農業実習で渡米していた
  1975−76年はたぶん大丈夫でしょう(毎日肉、肉の食生活だった!)その頃ヨーロッパに
  駐在していた人から現在に至るまでみんな狂牛病にかかる恐れがあるっていうことになる
  わけでしょう? これって冗談じゃなくとっても恐ろしいことだと思いますが、皆さん、どう
  思いますか?なんか検査でわかることできないんでしょうか?(エイズのように・・・)
  ヨーロッパではあのマクドナルドはどうしてるんだろう? 日本のハンバーガーは輸入牛肉
  100%なんて謳い文句もあったような気がするけれど・・・
   なんか、世界で騒がれる病気の類って、アメリカやヨーロッパから発生するような気がしま
  
せんか


   新所得安定政策をお待ちします   2000.12.10記

     新しく就任した谷津農相が、就任記者会見で”意欲ある専業農家”に直接所得補償対策を
  実施したいとする発言をしました。これまでは山あいの農家に対して行われてきていますが、
  これを拡大するという内容です。自民党の考えでも、これまであるいはこれからも国の施策に
  従う”いい子農家”を対象とするようです。専業農家を苦しめ、体力を失わせてきたのは四半世紀
  以上にわたる強制減反政策とカメレオン政策です。
  (猫の目農政なら目の動きだけですが、カメレオン農政では、次に全く違う色に変化してしまう)

    国の新しい農業政策が出るたびに、農家の「他産業並」経営は萎んできたことをおわかり
  なのでしょうか。これまでの減反政策は、「他産業並」経営を育てようとするものではなく、
  結果、自民党の票確保と農業関係従事者(農水省職員、農協職員、その他農家を取り巻く各種職員等)
  の保職を第一としてきたようなもので、予算のバラまきでしかなかったように思えます。 
  本当にこの国に農業が必要であるというなら、他産業で生計を成り立たせている兼業農家に
  手厚い農地離託方策をおこない、その農地を専業農家に集中すべきではなかったのか。
  これから先も重点的な補償政策は”意欲ある専業農家”ではなく、これら兼業農家に対し、
  行われるべきだと考えます。そうでなければ、WTO(世界貿易機関)で決定される自由化を全面
  容認し、その衝撃波を受けるであろう”意欲ある専業農家”に対し、これ以上の面倒は見ない
  「手切れ金」的性格に思われても仕方ないでしょう。まかり間違って、私にこのたぐいのお金が
  来ることになっても、「所得補償」等とは考えずに、その金で海外旅行に行くか宝くじにでも
  使うことにしますので、もらえるものならできるだけ早くして欲しいと心待ちにしています。
   


  定年帰農がハヤっている   2000.11.28転記

   ここ数年前頃から、サラリーマン生活を無事?卒業した定年組の中に新たに農業を始めた
  人たちがいます。長年にわたってサラリーマン生活を送ってきた住居をあとにして生まれ育
  った故郷にもどって農業を始める人、新しい農地を購入して再出発する人など様々ですが、
  これらの現象を「定年帰農」と呼び、若い世代で会社員生活から農業に戻る場合と区別されます。
   区別される大きな理由は、”生活基盤”です。若いうちに農業を始めると言うことは、それ
  まで給与で成り立たせていた生計を自営業でもある農業収入で生計を成り立たせていこうとする
  ことですが、定年帰農者の生計は「年金生活」が基本です。一部では、生産農産物の販売で年金
  生活に上乗せするほどの収入を得ている人たちもいます。なぜ定年後の第2の人生に農業を選ぶ
  のか。私は次のように考えます。

   近年定年を迎える世代は、社会に出て働き始めた時代が昭和40年代前半。日本が高度経済
  成長期の絶頂に走り出したころではないでしょうか。彼らの生い立ちは、のんびり時代の農村に
  食べ、遊び、学び、生活してきた所にあります。その彼らが社会に出て「会社」組織の中で生計
  を立てていくことになり、それまでに育ってきた環境や身につけてきた価値観を軌道修正しなけ
  ればならなかったはずです。そして、走り始めてしまったクルマを止めることはかなわず、
  数十年を生きてこられたのでしょう。
   その長きを終え、せかされるように走り続けることから解き放された時、彼らの胸に去来した
  ものは、幼年時代の”古き良き時代”だったのではないでしょうか。その心の時代をもう一度
  耕して、その時代が十分に豊かであったことを確認し、大切にしたかった価値観を思い起こしたい
  からではないのでしょうか。定年帰農した多くの人たちにやる気が満ちあふれていて汗を掻いて
  いる様は、まさに多感な”少年時代”の姿です。やる気でする農業人生を応援しまっし
ょ。


  農薬現物支給は環境保全に逆行   2000.10.25記

     農業の世界では、作っている作物が自然災害や病害虫の異常発生などに遭って、
  その収益に大きな影響を及ぼすと判断したとき、保険金を支払うような制度=農業
  共済制度が設けられています。
   稲作農家の場合は、全国で栽培されていること、主食であることなどから法律に
  よって一定面積以上の栽培を行っている農家は強制加入の義務が課せられています
  (ほとんどの農家が当てはまりますが..)
   
   この制度の中では、当然のことながら病害虫の発生などについては予防措置
  (予防農薬散布)をきちんと行っていて、それでも被害に達したときに補償の対象に
  なるわけですが、これらの業務を担当している各地の農業共済組合の中には、病害虫
  予防のために作付け面積に応じて農薬(殺虫殺菌剤)を農家に支給するところがあります。
  共済制度そのものからすれば至極当然なのかもしれません。
     しかし、ここにも農家の自主性を無視した考え方が横行しているようです。
  自然災害はともかくとして、病害虫の発生を予察するのは農家であって、農薬を散布する
  かどうかの判断もそれぞれの農家の自主性で行われるべきです。作付け面積を算定根拠に
  した農薬の強制配布は、病害虫の発生予察とはなんら相関関係・因果関係ともに存在し得ず、
  配布された農家の中にも「くれるんだったら撒きましょうか」ぐらいの意識でその農薬を
  むやみに散布している姿も見受けられます。単純に計算しても福井県単位だけでも、およそ
  300トン以上の農薬が一年間に強制配布されていることになる。

   環境に配慮した農業のあり方や実践が叫ばれていながら、一方でこのような環境保全に
  挑戦するがごとくの方策は早急に慎むべきであろう。消費サイドの環境や安全性に対する
  意識は、農家や農業関係機関に携わる職員の認識をはるかに超えて進んでいることにさえ
  気がつかないのであれば、あとは衰退の道しか残っていない。


  直接所得補償は山間地をダメにする   2000.6.18記

     昨年、新しい”農業基本法”が施行されましたが、その柱の一つとして、中山間地=
  山あいで農業を営む農家に対して、そこで農業を続けて(最低5年)くれれば国が補助金
  を出してくれる制度があります。離農などで中山間地の農地が荒れれば土壌・景観保全や
  大雨が降ったときなど下流域(都市部)に被害が出やすくなる−などの理由からでしょう。
    しかし、農業関係の行政、農協、農家以外の一般の人々にはあまり知られていない
  でしょうが、制度の中では、田んぼの土手の傾斜角度の度合いで補助金をもらえる人
  もらえない人の線引きがあったり、自治体の首長に裁量権があったり−と、制度を受ける
  側から見れば国民のコンセンサス(合意)を得ていない補助金は”生活保護”を受けている
  ようで、地域住民からは「素直に受け取れない」旨の発言を聞きます。農村、特に山あいに
  暮らす人たちには、これまでに築いてきた濃厚な住民同士の信頼関係は、現代社会の変化の
  中でも根強く存在しており、金銭的に安易な分配を行うことは、これらの関係をゆがめること
  になりかねません。個人の田畑の条件で補助金の交付を振り分けるのではなく、中山間地を
  離れることなく、今後も住み続けてほしいと願うのであれば、せめて集落単位で交付し、
  その使い道についても、そこに住む人たちの自主性にゆだねられてもいいのではないだろうか。
   
   平地に住んでも山間地に暮らしても同じ日本だし、生産される農産物も同じです。山あいに
  暮らす人たちの自尊心や自主生活権、住民相互の信頼感を踏みにじるような今回の政策は
  愚策で、もっと深く議論されるべきです。県レベルや市町村でも国策の毒性を少しでも薄める

   配慮が必要です。


  新農業基本法で農業の再生なるか   2000. 3.14記

   ならないと思うんだけど....ま、言うだけ言ってみましょうか。

   43条からなる「食料・農業・農村基本法」が昭和36年に制定された旧農業基本法を
  廃止して昨年7月に公布、制定されましたが、その中身をごくごくかいつまんで言って
  みればこうなります。
    
経済中心にこの国は頑張ってきたけど、これから先もそれを捨てるわけにはいかない。
   が、物質中心
の社会のあり方もそろそそ考え直さなきゃいかん時期にきていることは
   確かなことなんで、この際農家
を始め、農協、町や村の職員、消費者も一踏ん張りして
   もらえないか。ついては山あいに住んでいる
農家には、下流の土木工事にお金をつぎ込む
   ことはままならくなったし、他国からいちゃもんがつかな
いようなお金をあげるから
   そのままそこを離れないでもらえないか。ついでにたまにはサラリーマンの人
たちの
   息抜きの場所を演出してもほしいので。平地に住む百姓には自給率を上げるためという
   錦の
御旗を掲げて、ほったらかしにしてきた麦や大豆の国産品を増やすようにさせ、
   備蓄赤字が増える米
はなるべく今までのように作らないようにしたい。ただ付き合いが
   あるので外国からの輸入を止めるわけ
にはいかないので、形を変えたわずかばかりの
   補助金ですが、ばらまいてあげますよ。
  
てな具合でしょう。
    第2条では、食料が人の生命維持に欠くことができないもので、最低限必要な分は
  国内で生産・供給される必要性を説き、第3条では農業の多面的機能、第4条では、農業者
  の存在の大切さを訴えています。ならば、これら一つ一つをつぶすようなことをこれまで
  行ってきた施策はいったい何だったのか。
   全国で一年に就農する若者の数が一企業の新採用分にも満たなくなったのはなぜか。
  減反をしないと外国から輸入米が入って価格が暴落すると説明したのは誰か。山あいの
  猫の額ほどの田んぼにまで一律減反を強いられて放棄したのは農家のせいとでも言うのか。
   農家が癒されずに他人
を癒すことができるとお考えなのか。再生と再構築を唱えるにはあまりにも
   遅すぎた。

  


   改正JAS法のゆくえ(後編)   2000. 2.12記

     それぞれの問題点について、前編で指摘しましたが、先月下旬に国=農水省から当面の
  施策内容について中身が明らかにされました。今回はその点についてお話しします。
   「改正法」自体は、この4月からスタートしますが、2段階の経過措置をとったあとで
  本格的に運用をしたいということです。つまり、今回の改正の中には法を守らない者や
  団体に対して新たな罰則規定が盛り込まれていて、最高50万円以下の罰金を課せられる
  ことになっていますが、4月から完全施行するとほとんどの「有機」関係者が処罰の対象と
  なってしまうので、相当期間延長をする−ということらしいのです。 具体的な経過措置
  として、
    ≫ 経過措置その1 
      加工をしない農産物を「有機農産物」として指定するのを10月まで延ばす
    ≫ 経過措置その2
      10月以降も経過措置(期間未定)をとって、表示の罰則規定を適用しない
  となっています。
   全国8カ所ある「農林水産消費技術センター」で農家などが直接 有機の認証を受けるには
  栽培面積、販売量に関係なく一律23万円の手数料が必要となります。民間の認証機関では、
  それぞれの判断での認証料と独自の基準に従った栽培管理なども要求されることになる
  でしょう。最終的には、その負担は”エンドユーザー”である消費者にお願いすることに
  なるのでしょう。ここで問題になるのは、自らがその労力と費用を栽培研究に充てて会得した
  品質向上のための技術や秘伝が、認証を受けることによりその認証機関の勢力に取り込まれて
  しまったり、経営自体が傘下に甘んじるようなことになるおそれがあり、”個性”を失うかも
  しれない点です。すでに、一部民間の機関にそんな動きと意図を感じているところがあります。

  本格的な運用が始まるまで は、@認証を受けたモノとAそうでないモノがそれぞれ、
 @「」(カッコ)なしの有機農産物、A「」(カッコ)付で「有機農産物」と表示されて
  混在することになります。民間認証機関の認証要件が千差万別であることを考えれば、
  トッテモまともには対応できそうにはありません。私もそうしますが、販売農家のほとんどは
  こんな法で消費者の信頼を得られるとは考えていなくて、実際、認証など受けないという
  人たちが多いというのが現状のようです。経過措置が長引けば、混乱するのは消費現場であり、
  統一性のない表示のあり方が消費者にとって買い物をするときの助けになるのかはなはだ
  疑問といわざるを得ません。



  改正JAS法のゆくえ(前編)   2000. 1.10記

   昨年秋、国会でJAS(日本農林規格)法改正が行われ、今年の4月から施行されることになりました。
  今回の改正の特徴は、おおよそ3つあり
  1.食品表示の拡大
    従来の64品目限定表示  → すべての生鮮食料品の原産地表示
  2.有機食品の検査認証制度確立  
     「有機」表示の混乱と氾濫 → 有機食品の規格制定=勝手に表示できない
  3.JAS規格制度全体の見直し
    JAS規格認定機関の規制緩和 → 民間機関の参入、国際規格に合わせた表示等となっています。
  これらは、消費者から見て、スーパーや食品店、あるいは産直での食品の購入時に適切な表示に
  基づいた判断ができるようにしたものです。数年前から農水省から出されていた「有機農産物の
  ガイドライン」もこの改正JAS法のなかに取り込まれています。
   つまり、いままで”まがい物””半分以上混ざっていても”できた「有機」の表示は、栽培した農産物が
  3年以上無農薬・無化学肥料で使用された土地で生産されたものでなければ、表示してはならないこと
  になったのです。「有機」を連想させるようなまぎらわしい表現を使って表示する事も禁止されるでしょう。

   流通経路で多かった有機表示の乱用が防げることでは、私も大賛成です。しかしながら多くの問題点も
  指摘しておく必要があるようです。その問題点としては、@ 生産者から消費者に直接わたらない限り、
  表示はできない。例えば、トマトが有機で生産されてもケチャップに加工された時点で有機の表示ができない。
  A 有機農産物(3年以上無農薬・無化学肥料)であることを証明してもらわなければ表示できない。
   証明をする民間の「有機認証機関」から毎年あるいは毎回証明をもらうための多額の費用を生産者
  (流通・小売業者)が負担しなくてはいけない。
  B 民間の「有機認証機関」が続々と設立されていて、将来過密になったとき、経営を優先して有機で
  ないものまでも有機として証明書を出すおそれがある。
 C 民間の「有機認証機関」の証明の基準や、表示のため農産物に張り付ける認証シールが統一的で
   なく、買い物時にどれが本当かわかりづらい。(続く)



   11年産米品質低下の原因を考える   1999.12.18記

   11年産米品質の全国的な傾向として、前年よりも評価が低く、特に北陸地帯では
  お米の登熟期に米粒に必要な水分が何らかの影響で十分に満たされないと起こる「乳白」
  (お米が白く濁って見える)現象が大発生しました。精米して袋に詰めると”見づら”が
  悪くなるので品質の等級も低く評価されます。
   この、「乳白」の発生について農業指導機関では、「夏場の異常高温が原因と思われる」
  などと分析しているようですが、私は気象が原因ではなくて、最近の夏場の高温状況に合わせた
  稲の肥培管理をしてこなかった農家自身と、これらの気象変化に対応する栽培技術の確立あるいは
  普及・啓蒙を怠ってきた指導機関のあり方がもたらした結果のように感じています。今までそれが
  見えなかったのは、ある一定の高温期間が続かずに被害発生の一歩手前で終息し、その限界を超え
  なかっただけのことなのです。
  
   一般的な稲の栽培では、田植え後できるだけ早く収量確保に必要な茎数を確保して、それが
  できたら水田の水を落として、水田を乾かすとともに、不必要なチッソ成分をも切る−という
  やりかたなのです。この一連の栽培方法は、一見合理的に思えますが大きな落とし穴があります。
  それは、早い時期に茎数を確保するための追肥が不必要な「分けつ」を促し、田植え後一ヶ月
  足らずの間に一株で40〜50本もの茎数を人為的・強制的に作り上げてしまうことになります。
  その後、「中干し」と称して落水を行い、再び入水しますが、「中干し」期間中に畑状態になり
  根から酸素を取り込むように体質改善されてしまった稲の根を、一挙に入水することで”窒息死”
  させてしまっているのです。頭(多茎数)デッカチを死にかけの根が支えられるはずはありません。
  そして迎えた夏場の高温期、稲は自らの乾き(蒸散)を防ぐのがやっとで、とても子ども(米粒)に
  水を分け与えてやるだけの体力も余裕もなくしてしまっていたのです。
   「おらっちは、たっぷりと水を張っていたのになんで「乳白」になったのか」と首を傾げても
  吸えないものは吸えないのです。おなかをこわした病人の目の前にご馳走をぶら下げても食べら
  れるもんじゃないでしょ。
   
   申し上げるまでもなく、そんな作り方を私はしていませんので「乳白」の発生などありません
  でした。いくら、品質向上を叫んで、肥料をとっかえても同じ現象が起これば同じ結果が生まれ
  るだけでしょう。結局は、自然をコントロールできると錯覚していたことを自覚し反省し、
  改めることが肝心です。強制的な栽培をしなくても、稲は十分に自らの力を発揮して応えてくれる
  ものです。



  「有機認証制度」は役に立つのか   1999.3.19記

   農林水産省の有機農産物表示ガイドラインが、日本農林規格(JAS)法を改正する
  方向で法的な拘束力を持とうとしています。この立法化の動きにあわせるかのように、
  各地で民間の有機認証機関なども始動しています。10年来有機肥料によるコメの
  生産・販売を模索してきた生産者の一人として大いに関心を寄せているところです。
   しかしながら、これらの動きは現在実施されあるいは表示されている「食味値」と
  同じではないでしょうか。やれ80点だ90点だと表示された米袋であっても結局の
  ところはお客様の食感に勝るものはありません。70点以下の表示を好んでする小売が
  いるでしょうか。試験漬けの日本社会では80点が合格点としての印象を受けますが、
  購入したコメの表示が80点でも食べてみて納得できない食味であればその表示は
  かえって信頼を損ねるものになってしまうはずです。
 
   今回の有機表示の問題はもっと複雑です。
  民間その他の有機認証機関が基準としている規格は、すでにアメリカなどで実施されて
  いる内容を参考に認証を行うようですが、それが本当に有機肥料だけで農薬を使わずに
  生産されたものかどうかを知っているのは生産者だけで、第三者による栽培確認や
  残留農薬などの成分分析などが行われたとしても、流通段階での殺虫薫蒸処理や
  通常栽培されたものとの分別精米、小売段階での品質管理など多くの問題が置き去り
  にされたままです。
   結局のところは、環境汚染問題や食の安全に責任を持つ生産者と相対的に生産現場の
  経済を支える消費者との間の”有機的”信頼関係によって”認証”されるものでしょう。
  消防法に定められた○適マークもそれですべてが宿泊客の安全に対して合格を意味する
  のではないはずです。雨後の竹の子のように設立される認証機関の認証シールが米袋に
  貼られても消費者の信頼を勝ち得るには、地道で根気のいる対応が要求されます。
    認証機関も権威付けのために官僚の天下りの受け皿に甘んじるようなものであれば、
  同じく「信頼」とは疎遠な存在となるでしょう。



  自国の食糧をどうするのか   1998.11.30記

   西暦2001年、WTO(世界貿易機関)で日本のコメ市場開放が再議論されますが、その先
  手を打って農水省や農協中央部では組織討議のなかで1999年4月に「関税化前倒し」を
  実施する方向で話を進めているようです。GATTウルグアイラウンド農業交渉でミニマムアク
  セス(最低輸入量)を受け入れたことがなんの問題の解決につながっていないことを露呈して
  います。売れない=食べないコメを相手の言いなりで受け入れたことが、2001年交渉で再度
  頭を抱えることになってしまったのです。関税化の前倒しが日本のコメを守ることに結びつくの
  かは疑問です。
   輸入量を抑えたからと云って国内生産のコメが安定して消費されるとは言い切れません。消
  費者にとっての選択は、輸入米か国産米の基準ではなく、おいしいかおいしくないかの基準で
  判断しているのです。今のコメ生産現場や流通を眺めているとこの視点に欠けているように思わ
  れます。生産農家の高齢化や後継者不在などに起因するおざなりの肥培管理、生産量の10倍
  を越える魚沼産コシヒカリの横行などがあげられます。消費にガッチリと結びついてこそ生産にも
  元気が出ると思うし、そうでないと国内のコメ生産の再生と品質向上は望めないかもしれません。
   
   トップの人たちがそうやって既得権益を守ろうと場当たり的な動きをしている間にも、背後で着々
  と日本の食卓を席巻しようとする動きが進行しています。アメリカ−ミネアポリスに本拠地を置く世界
  最大の穀物商社「カーギル社」が倒産した山一ファイナンスを買収し、昨年12月6,400億の負債
  で事実上倒産した食品商社「東食」に乗り込み、「カーギル・ジャパン」社長が管財人として就任、
  国内コメ関連事業を支援することになった。
   世界65カ国に拠点を持ち、従業員8万人、売上高7兆円を誇るシカゴ穀物市場のドン的存在の
  カーギル社。日本進出の目的は何なのか。世界の国々がそれぞれに食料の自給自足を行えば、
  穀物商社のそんざいはあり得ません。どこかの地域で過剰生産、別の場所で不足(飢餓)状況が
  発生しているからこそ穀物流通が巨大な利益を生み出すマーケットとなりうるのです。膨大な資金力
  をそこに注ぎ込み国家間を越えた“食糧支配戦略”を生かす穀物商社。そんな中で”いのち”をつなぐ
  食料が”エサ”と化していく。エサを与えるのは「主人」、エサをもらうのは「家畜」。そんな関係をなし崩
  しに許したのは私たち自身にあります。食料が私たち一人一人の”生存主権”であり、国家主権でも
  あるはずです。逃げ場のないWTO版コロッシアムで素手で闘う姿を、見物席でほくそ笑んでいる
  影の実力者たちが浮かんできます。「カーギル社」の祖先は、世界各地に植民地を作り上げた
  大英帝国時代のイギリスで設立されたことを心に留めておいてください。



  減反政策の矛盾と限界    1998.10.23記

   帰農してすぐ、恒常化していた減反をただ消化するのではなく、積極的な作目を取り入れ、収
  益の安定した経営の一部門に育てようと水田に桃を新植したのが18年前でした。
   この間、品種選定の間違いや水害、病虫害による被害にも遭いましたが、多くのお客様に支
  えられてやってこれたことを感謝しております。10年前に増植した桃は健在ですが、18年前に
  植え付けた桃の樹は老朽化が進み、平成10年夏の収穫を最期に伐採し、その場所は水田に
  戻すことにしました。再植は、連作障害が発生することと、私たち夫婦がこの先20年近くも生産
  から販売までをこなしていくことには年齢の問題(現在40代半ば)もあり、困難だろうと判断した
  ためです。
    水田に果樹や杉などを栽培する転作(減反)を政策分類上、永年転作と呼びます。この夏、
  農業指導機関から、私の桃畑を水田に戻すことは「新規開田」扱い(つまり、新しく田んぼを作った
  ということ)になり、来年それに相当する面積を通常の減反目標面積に上積みして実施する必要が
  あるとの話がありました。その話に対して私は異論を唱えました。その中身は、
   1. 元々水田であるものを水田として再利用することがなぜ、新規開田になるのか。
   2. 基盤が水田であるからこそ、18年間減反面積として算入してきたのではないか。 −です。
  これに対する回答は次のとおりです。
   『その水田に桃を植えた時点で地目の変更をして、”樹園地”にしておく必要がありました。』
  私の異論が続きます。
   「桃を植えた時点で地目変更の措置をとる必要がある旨の通告はありませんでしたし、地目変
   更がされていない桃畑を、なぜ減反実施面積として算入し、転作助成金を交付してきたのか。」
  これに対する再回答はまだ受け取っていません。
  
   昭和46年の「稲作転換対策」に始まった減反政策には、法的な根拠はありません。つまり、農家
  は減反をしなければならない義務を法律上負ってはいないのです。一方で、上記のやりとりの中
  では、憲法第22条(職業選択の自由)、第29条(財産権)、地方公務員法第30条(職務遂行)の
  存在が頭に浮かびます。26年もの長い間減反をし続けてきた稲作農家に、今日”福音”は訪れた
  と言えるでしょうか。
   NHKの番組「明るい農村」がテレビから消え失せて久しいですが、それは農村に爪の先ほど
  の明かりさえ見えなくなったためではないのでしょうか。農家の地位向上を言うのであれば、減
  反などやめて、農家の判断に任せるべきです。採算が合うと思えば続ければいいし、割に合わな
  いと考えれば“自主廃業”もあるでしょう。職業選択の自由は憲法に保障されているのですから。


 
  オレのコメがいちばんうまいんだ   1998.9.24記

   長年続いた「食糧管理法」から「新食糧法」に法改正されて数年が経過しました。この間
  コメを扱う流通・小売の現場では米穀卸の統廃合やお米やさんの廃業、新規参入など大きな
  変化が起きています。農家直販、コンビニ、ガソリンスタンド、通販カタログ、郵パック、ディス
  カウントショップ、インターネットショッピングなどあちこちでお米が販売されている状況は、消
  費者にとっては便利で購買しやすい環境になってきたと言えるでしょう。

   それでは生産の現場ではどんな変化が起きているのでしょうか。
  相も変わらず、猫の目とカメレオンカラーに象徴される貧困農政と組織防衛に躍起になってい
  る農協のもとで、減反を忠実に守り、残された面積で少しでも収入を上げようとコシヒカリなど
  の特定品種を中心に栽培をしています。”お上”に逆らうよりは、手揉みして補助金をもらった
  ほうが得策だと考えている農家がまだ大多数なのです。
   農家のほとんどは、自分で生産したコメを自家飯米にしています。それはそれでいいのですが
  前述の店で自分以外のコメを購入して食べるなどということはまずありません。つまり、コメを作り
  ながらコメを知らない状況なのです。どの農家も自分の作ったコメが一番うまいと自負していますが
  一番とか二番とかは比較の中で結果として表現されるものです。お店で売られている、価格とグレ
  ードによる食味の違いなど知ろうはずもないのです。
   これでは、食品(商品)を送り出す側として、末端でのおコメの品質や消費の実体を知らずに生産
  を繰り返しているだけ−ということになってしまいます。生産と消費が遊離していては、消費の拡大
  など望みようもありません。一度少量でもいいから、買って家族で食べてみて下さい。自分のコメと
  買って食べるコメの差に驚きや感心がうまれ、肥培管理などの生産技術や流通のあり方などに関
  心を深めることになるはずです。そして、「自分のコメが一番ではない」という客観的視点を持った
  生産者になれるでしょう。検査を受ける時、”肌ずれ”、”焼け米”、”胴割れ”、”青米”、”籾高”、
  ”水分過小”であるコメが、流通や消費の現場でどうなっているのか知ることは重要です。
   指導機関もグレードアップを叫ぶのであれば、その指導対象は肥料・農薬にとどまらず、出荷され
  る低品質のコメが精米され消費者に届く段階でどれほど劣化してしまうのか−を具体的に示すべき
  です。”商”感覚に慣れていない指導機関には努力がいりますが、農家に、生産だけはでなく消費
  の現場にも目を向けさせる指導が必要です。



  農業の世界に飛び込む心構え10ヶ条    1998.6.15記

  1.一度飛び込んだら二度と後戻りできない世界であることを覚悟すること。
        ♪ 途中で辞めても農業者年金はもらえない
  2.農業に夢を持つのではなく、農業をやろうとする自分に夢を託すこと。
        ♪ 自分を信じていないと生涯、現実とのギャップに悩み通すことになる
  3.入る前に描いている夢を最初から実行しないこと。
        ♪ 生活の安定を優先させないと足が地につく考え方ができない
  4.仕事を作り出すことを第一とし、金のことはその次にすること。
        ♪ 仕事を追えばお金はあとからついてくるが、金を追っかけると仕事をなくす
  5.地域で”村八分”的存在になっても信じた道は曲げないこと
        ♪ 八分嫌われてもまだ”二分”残っているのだから
  6.技術よりも経営の中身をはやく確立させること
        ♪ 技術は周りの人がおしえてくれるが、経営は教えてくれない
  7.”希望”の拡大はどんどんしても”規模”の拡大は慎重にすること
        ♪ へたをすると慢性的な体の故障と借金地獄から足を抜けなくなる
  8.勝負を賭ける時が訪れたら、実行に反対する人の言葉に耳を傾けること
        ♪ 信じ込むとすべてがいい方向に傾くと錯覚しやすいし、思いこみたくなる
  9.新しい農業(農政)用語が出てきた時は注意して対応すること
        ♪ 用語の中には、アメのほかにムチが必ずひそんでいる
 10.いかなる時も日本の農業がどうなるのか..などと余計な心配はしないこと
        ♪ 自分の農業がしっかりしていれば日本の農業は安泰なのだから



「他産業並」発想のない農政の現実   1998.6.10記

    ガット・ウルグアイラウンドの受け入れや新食糧法の施行、さらには米余り現象などが重なっ
   て日本の稲作経営者は今、悲鳴にも似た嗚咽をもらしている。米価の下落と販売不振がその
   理由です。国内でのコメ消費は年を追うごとに減少し、今年あたりでは国民一人あたり60Kgを
   下回っているはずです。このことは、高度経済成長期初期から食生活や食材の洋風化・多様化
   が進み始めたときからその終点は予測できたに違いありません。
    食管会計の赤字減らしと需給調整のための減反政策が長年に渡って実施されてきました。
   その間これらの政策誘導のための補助金や制度は星の数ほど立案されましたが、”生産調整
   で事が済む時代”の終焉と”変革を乗り越えた次世代的農業”の到来を予見した政策立案はな
   されてきませんでした。その潮流認識の誤りが出口の見えない農業停滞を生み出したのです。
    「生産調整」は現実問題として行わざるを得なかったことは否定しませんが、多額の補助金を
   もらった転作組合が数年後事実上の崩壊をした例や補助金目当ての転作作物の栽培を考えた
   とき、民間でいう「投資」のあり方を思い浮かべます。「投資」は当然の事ながらいままでの経営の
   土台をさらに強化したり、別部門を立ち上げて未来的基礎を作り上げるために行われるもので
   しょう。当然リスクの伴うものです。石鹸の「花王」がフロッピーディスクの生産をしていることなど
   は典型的な例でしょう。
    先進的な考えを持った農家が独創的な経営をめざして助成(投資)を行政に要請しても受け
   入れられる金融的制度はほとんどありません。「前例がない」というのがその理由です。いままで
   にない経営や栽培のあり方に挑戦するとき”前例”などあろうはずがありません。もし、たとえ
   それが失敗したとしても様々な副産物が生まれそこから新たな発見をすることもあるのです。
    機敏に対応する制度がないのは行政マンにその意識が薄いからでしょう。比較的自由な発想
   を若い行政マンが持っていたとしても結局は”古い”行政マンに押しとどめられているのかもしれ
   ません。保身を考えず、プロ意識の徹底した民間の上司であれば「お前の思うようにやってみろ、
   結果については俺が責任を持つ!」ぐらいのことはいうのでしょうが。。。。
    あれを企画しても、これを進言してもはねられるようであれば、若い芽は育ちません。立案の
   現場と栽培の現場で今までにない芽立ちが二重に受け入れられない...では”変革を乗り越
   えた次世代農業”展開の幕はあくるはずもありません。




  「他産業並」の農業経営の出発点   1998.4.10記

   「統計調査」をご存じでしょうか。国勢調査をはじめとしてさまざまな統計調査を行い、現状を分
  析し、将来を予測したり、政策立案や対策の根拠を得るために行われるものです。農業の分野で
  は、農林統計がこれに当たります。
    ここ数年、私たち農家には「企業的農業経営」や「他産業並の所得収入」が必要だと言われて
  います。言っているのは、国を頂点とした行政です。「他産業並・・・」は昭和36年施行の農業基
  本法で唱われてきていますが、40年近くたっても実現していないのでこの先も実現することはない
  でしょう。しかしながら「基本法」で教えられた”選択的拡大”を拡大解釈してきた農家の知恵が功
  を奏し、「他産業にも勤めて所得を増大」してきたことで本来の目的は達成されています。
   一方の「企業的農業経営」についていえば、当然民間企業のような経営をして下さいということ
  なのでしょうが、言っている方も言われている方もたどたどしい状態です。
   数年前、コメと桃を作っている私のところへ農林統計事務所の職員の方がお見えになりました。
  福井県では桃に関するデ−タがないので栽培や収量の調査に来たとのこと。その時の会話です。
   職員;「ちょっと、お話をお伺いしたいのですが。」
     私;「今忙しいんですが。」
   職員;「ちょっとだけでいいんです。」
     私;「今日は思いつきでここに来られたのですか。」
   職員;「とんでもない。まえから予定に入ってましたよ。」
     私;「それなら前もって電話か文書で連絡があってもいいんじゃないんですか。
        今は仕事中です。勝手に来られても迷惑です。日を改めて下さい。」
   10分程度、桃やコメについての栽培状況を説明し、次回から事前に連絡してくれれば時間を開
  けることを伝えてお帰り願いましたが、翌年も同じように突然来られました。言うまでもなく即帰って
  もらいました。その次の年からは来ていません。
    民間企業で、取引先でもない相手がアポもなく突然来て、経営内容を聞かせてくれといって応じ
  るトップがいるでしょうか。企業的に経営を行うことは、簿記記帳をパソコンで処理し経営分析をす
  るだけではないはず。
   経営規模の大小とは関係なく一個の経営として尊重されるべき点が多々あるはずです。それら
  を総合して”企業的”というのではないですか。
    言われている農家の側にも問題はあります。付き合う相手が同じであっても、時と場所、状況
  つまりT.P.Oによっては言葉遣いや身なり、行動をわきまえるべきです。どこへ出かけても丸首
  にスニ−カ−では経営者としてのいや、それ以前に個人としての資質に問われます。制度を利用
  して補助金を受け取るまではいいのですが、それを基に建設した施設や機械を最大限有効に使
  わない−では、経営者として失格ですし、税金の浪費にもつながります。温室育ちの時代が閉じら
  れた今、世間の常識に従い、フツ−にやりとりしましょう。「他産業」では当たり前なのですから。


 
  低コストはコスト低減と同義語ではない   1998.3.28記

   数年前から、「低コスト稲作」など生産費削減などを目的として、苗ではなく種籾を直接田ん
  ぼに蒔いて稲を育てるという栽培方法の実験や普及が行われてきました。結果として、一部地
  域を除いてそれほどの広がりを見ることはありませんでした。
   コストとは、言うまでもなく経営上の経済的負担=経費削減を意味していますが、一つの経営
  を考えたとき、コストには前述の経済的負担のほかに精神的負担が存在することをを見逃して
  はならないのだと思います。つまり、経営を発展させたいと経営者が思うときに、経費削減だけに
  目を向けているとメンタルコスト=精神的負担が時として経済的コストを上回る結果となることが
  あります。
   かならずしも、相関関係にあるとは言い切れませんが、経費を削減したいという気持ちと執行が、
  経営者の規模や希望の拡大指向に水をさすことになることがあり得るということなのです。
   農業の分野、とりわけ稲作経営では、25年にも及ぶ「減反政策」が意欲的な稲作経営に大きな
  精神的負担を強いてきました。それは長期間にわたっての疲労と酷使が肝機能障害をもたらす
  ようなもので、”ものを言わない臓器”肝臓のたどるべき末路なのでしょう。
   農家はこの肝臓によく似ています。将来的にはっきりとした見通しのないままに「減反政策」を強
  要され、受け入れ、無理難題であっても従順に従ってきました。体の持ち主は摂生した規則正し
  い生活を送るでもなく、毎日のように不規則な生活をしている。どんな無理をしても臓器は自分の
  意志の命じるままに必ず必要な処理をしてくれるものとタカをくくっている。
   冗談じゃないよ。そんな考えで毎日を暮らしているあいだに、”ものを言わない臓器”は肝硬変に
  なってしまったよ。手遅れだよ。いまさらカンフル剤も効かないし、臓器移植しようにも国内には
  ドナ−はいない。国外に望みをかけても拒否反応が出るだけ。残っているのは黄疸症状あるの
  み。肝臓が働かなきゃ、体全体も機能しない。
   長年にわたる「減反政策」の最大の罪は、肝硬変のごとく再生の可能性を限りなくゼロに近づけ、
  農業を営みながら生活をしていこうとする夢と希望をうち砕いたメンタルコスト増大にあると言って
  も過言ではないでしょう。私たち農家も”肝に銘じて”今後はモノを言いましょう。




  「家族協定」指導は許されるか   1998.2.26記

   今、農家、特に専業農家に対して、農業経営の安定と夫婦間の経営参加平等を目的として、
  文書による「家族協定」締結推進を各地の農業改良普及センターなどが指導しようとしています。
  すでに何軒かの農家が「協定」を実施しています。
   しかしながら、どうも素直に受け入れられない問題点があるように思われます。つまり、@農業
  の分野では経営にしても夫婦間の問題にしても、他産業より遅れているという前提で行われてい
  ること。A社会的にも法律的にも認知されている夫婦間の問題に行政が介入できるのか。B個
  々のライフスタイル、経営のあり方、役割分担は画一的なものではないなどです。
   家族経営のあり方は産業別、業種別に分類されるものでもないし、まして、夫婦のあり方は
  それぞれで、一方的な論理で片づけられるほど単純ではないはずです。
  農家の経営形態やいっしょに働いている夫婦の役割分担が、女性軽視の状態であるとか、妻
  はアシスタント的な存在で、経営内で低い地位であるので指導をすると言っていますが、その
  根拠はどこから出ているのでしょうか。全国の専業農家を対象とした統計やアンケート調査を行
  っての指導なのでしょうか。行政が予算措置まで講じて指導を進めるにはそれなりの現状分析
  と将来の展望を持っていなければならないと思います。確かに一般的に見れば、女性の社会的
  地位の向上は、その他の先進国に比べても、進めていくべき課題です。日本社会特有の家族
  制度や男尊女卑の封建的思想が、この課題の進展を遅らせていることは否定しません。
   
   私のところでは数年前まで、妻は民間の会社に勤めていました。農業経営の拡大を機に夫婦
  でまた、家族の協力を得て農業を行ってきましたが、妻が農業を始めたとたんに「家族協定」の
  おさそいです。私や妻に何のアクセスもないままに、講習会に出てきて下さいでは、一個の独立
  した夫婦に対してその尊厳を無視したやり方です。指導する人たちの夫婦間では「家族協定」
  を結んでいるのでしょうか。国として「家族協定」を推進するのであれば、農家もサラリーマン家
  庭も区別する必要はありません。老若を問わず、全世帯的な展開をすべきでしょう。
   行政自らが農業を特別視するような対応は、必要以上に、対外的に農業の持つイメージを損
  ねる事につながりはしないでしょうか。「農家の嫁不足」と称して、結婚相談員の予算を組んで
  いますが、同じ事でしょう。独身でいる農村の青年をつかまえて”農家の”嫁不足というのは、行
  政そのものが、個人よりも”農家の...”と”家”を優先しているような感覚を印象されかねません。
   あなたの家庭へお役人が来て、「家族協定を結びませんか」と言われたら、あなたはどう受け
  取りますか。



  コメ消費拡大、コメ余り解消の決定版   1995.10.26記(転記)

   失政とは言え、外国からの輸入米の増加や、日本国内での”辛ショック療法”−(新食糧法)
  施行でコメ余りといわれる今日の状況を解決する方法が一つだけあります。
   皆さんはご存じですか? 戦後、アメリカは、敗戦国日本で困窮していた食糧事情に対し、
  「キッチンカー」を全国に走らせ、近未来の日本にパンと牛乳の食生活を定着させたのです。
  これは、文化人類学者、ルースベネディクトによる日本人の文化を詳細に分析した「菊と刀」に
  象徴されるように、徹底した分析と解析・考察をおこなって、自国の国益のために遂行する欧米
  型長期戦略の一端をあらわしています。物まねを得意とする日本がこの手法をマネしないテは
  ないでしょう。
   アフリカや一部の中央アジアなどにどんどんコメを送って、”おにぎりカー”を走らせましょう。
  水とプロパンガスと鍋さえあれば”おにぎりカー”はどこでも行けます。一端輸入したインディカ米
  はイスラム圏へ。アフリカなどへはジャポニカ米を。イスラムでは、くちヒゲを生やしている男性が
  多く、粘っこい米は食事の時ヒゲにひっつくので嫌われているらしい。
   当然、アメリカなどからは非難の声が出るでしょうが、彼らへの殺し文句は”人道的立場”でいい
  でしょうし、あなたの教えを再現しているくらいに突っぱねればいいことです。食糧不足のところは
  今後も増加します。そうして、米を食べてもらいます。21世紀の世界標準がアングロ−サクソン
  標準でも22世紀の世界標準は日本を中心としたコメ文化圏のものになることはまちがいありませ
  ん。 世界のどんなへんぴな所でも「シェル石油」の貝マークと「コカコーラ」の看板だけはある今
  日ですが、負けじと”おにぎりマーク”のサインポールを広めましょう。ネ、ノーキョーさん。




  無理なくコメ産直に切り替える方法   「現代農業」 農文協出筆原稿

   1996年11月の「新食糧法」施行で、農家も自由にお米を売れるようになりました。いままで
  全量を農協など集荷業者に出荷してきた農家の中にも、消費者と直接つながりたい、直接販
  売したい、全量を産直方式でさばきたいと考えている人は多いかと思います。
   私が経験したことなどをもとにしてお話しします。

   収穫したコメを集荷業者に全量出荷している農家の経済状況では、出荷して数日後には預
  金口座に、一俵当たりの仮渡し金×出荷俵数の金額がつき、収穫が終わればほぼ同時に、
  その年のコメ販売代金のおよそ90%が確定します。残りは翌年あたりに精算されます。
   ただ、90%のコメ代金がそのまま残高として通帳に残ることは希です。その年に購入した生
  産資材や未処理になっていた各種の未払い金が残高の許す限り引かれていくからです。中で
  も最大の”借金取り立て”は7−8月に受け取っている「前渡し金」の返済でしょう。
   私の場合、この「前渡し金」こそが生計の独立や依存体質からの脱却を妨げている要因とし
  て捉え、”給料の前借り”的存在の「前渡し金」から離れたいと考えました。長年にわたって”前
  借り”を続けていたことで、生計の根っこを他人(国)に握られていることにさえ気づかかなくなっ
  ていました。集荷業者への出荷から産直方式の販売に切り替えることを、単に直販による手取
  りの増加や販路の複線化を目的とした経済的側面だけで捉えようとするのは好ましくありません。
  それがうまくいかなかった時には、また元のサヤに戻ればいいやなどという潜在意識を取り除
  くことができないからです。
   あちらこちらでコメ産直をはじめた農家などの話を聞いたりすると、トレンドに乗り遅れそうで、
  一気に産直に切り替えたいと考えるのも無理からむことですが、アルコール中毒患者のように
  「習慣」になってしまっている依存的体質からの脱却は容易なことではありませんし、”イッキ”と
  いう響きは、「一気」にしろ「一揆」にしろ農家にとっては非常事態のニュアンスで、一年一作の
  サイクルで働くコメ農家にはなじめません。

   まず一年目、秋に入ってくるコメ代金をあてにして不必要な買い物をしたりすることを避けまし
  ょう。「前渡し金」はこの年はもらうことにして、引かれる農薬・肥料などの未払い金や家計に必
  要な経費を見積もります。その総額を睨みつつ、全出荷量の20%−30%を産直販売に仕向
  けられれば、最初の踏み出しは成功といえるでしょう。手元に残した産直用コメは、それまで
  に見つけておいた消費者に安定的にお届けします。集金した代金はそのまま通帳に入れます。
  必要になったら引き出して使います。要は、生産した米の一部を利率の高い貯蓄にしたぐらい
  の気持ちでいいのです。
   その間、消費者とのやりとりの中で産直の問題点や改善方法がわずかながらも見えてきます。
  突発的な出費が発生したら、定期預金などを担保に短期の借り入れをしてしのいでいきます。
  同じことのようですが、定期などを取り崩して使うのとでは意味合いが違ってきます。借入利息
  の分は、翌年の産直販売で十分取り戻せます。

   二年目、余裕があるようなら「前渡し金」をもらう出荷数量を減らしてみます。できれば60%程
  度を産直に振り向けます。一年目に引き続き、麻薬の切れた常習者が禁断症状を起こしたよう
  な苦しい家計のやりくりが待っていますが、くじけずがんばり抜きます。消費者に届けるお米の
  品質や販売システムが確かなもので、口コミや新規開拓で注文が増えてくればシメタものです。
  特色をだして、さらに消費者の拡大に精を出します。

   三年目、生産の全量を産直に切り替えます。実質的には、四年目から安定した自立の道を歩
  き始めることになりますが、この年の通帳の残高推移をながめてみると、以前のそれとは大きく
  違っていることに気がつきます。減る一方だった残高が毎月のように入金−支出を繰り返して
  いるからです。秋にドーンとコメ代金が入っていた頃は、なにか大きな気持ちになって不必要
  な物まで買ってしまったことありませんか。毎月決まったお金が入ってくると、一年を月ごとの
  計画に分散して見直すことができるし、計画的にモノを買ったり、家族で外食に出かける余裕
  のあるなしまで見えてきます
   経営的にも、生産資材の仕入が月単位でできるようになってきます。仕入先も単価の安い業
  者に替わることも可能です。支払いをその月にできるようになれば業者も相手にしてくれるし、
  値引きも交渉できます。
   「コメの代金が入るまで待ってもらえませんか」などという言葉とはサヨナラしましょう。しかし、
  忘れてはいけません。生計・経営・精神を自立させたということは、寄りかかっていた”大樹の陰”
  もなくなったということなのです。


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