Rencana Pengembangan Petani Mandiri
       
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  2011.2月下旬 事業を再構築するためジャカルタに渡航しました。
  今後事業運営の中心は、インドネシア元農業研修生となり、彼らの
  自立的な企画・運営方針に沿って継続されることになりました。

平成23年6月12日午前10時に、この事業の現地責任者の一人である「ムスタジ」氏が亡くなったとのSMSを、他の責任者から受信しました。
2月に渡航したとき、すでに体を悪くしていた彼から毎日のように電話をもらい、ジャカルタを離れる直前の空港にまで電話をかけてきました。
事業再構築のためにジャカルタに来られなかったことを「ゴメンナサイ、ゴメンナサイ」と繰り返していました。今思えば、我が家で研修を済ませた
同窓の元研修生である他の現地責任者らや私と一緒に同じ時間を過ごしたかったのでしょう。数年前から心臓を患い元気をなくしていることは
知っていましたが、せめてもう一度は、みんなでバカ話に花を咲かせて笑い転げたかった。あまりにも若すぎる死です。彼の冥福をお祈りします。
追記:7/22〜24、彼のお墓参りのため、スラバヤ−ラモンガンに渡航しました。   

事業のあゆみ 事業の展開 事業の現況 事業への参加
ホームページ管理責任者 清水豊之 福井県丹生郡越前町気比庄46-17 
この事業は、通称を”ASAHI−PLAN”と呼びま

  
    
事業のあゆみ
  
  1983年から1992年までの10年間、海外からの農業研修生(オランダ、タイ、インドネシア)
   を受け入れてきましたが受け入れ事業は政府開発援助の一環として実施され、研修には
   多くのODA予算(一人当たり−数百万円)が使われていました。
    おおかたの研修生は”農業研修生”に充当する能力や資質を持ち合わせていましたが、
   中にはその資質に十分でない子も少なからず見受けられました
    以前からそのことに疑問を抱き、より効果的な開発援助のあり方や援助金の使い方を
   模索しつつ、その改善策の一つとして「日本には来ない−現地での農業後継者のあり方
   はないものか」と考えてきました。

  10年間の受け入れの内、インドネシアからの研修生の割合がもっとも多く、数回の同国訪
   問の中で、意欲は旺盛だけれども一家の柱として家計を支えていて長期間、日本には
   来られない若い農業者の姿を見聞きしてきました。
   彼らの多くは比較的所得が低く、ODAなどの恩恵に浴することは少なく、彼らのように光
   の当たりにくい低所得層の元気な農業者を現地でバックアップすることは出来ないだろう
   かと考えるようになりました。

  その構想を具体化させ、実行を決意させた直接のきっかけは、友人の突然の死でした。
   1997年、南米ペルーで日本大使館がゲリラ組織に占拠された事件は記憶に新しいところ
   ですが、それより以前1991年に同じペルーで起きた極左ゲリラ組織「センデロ・ルミノソ」
   によるJICA(国際協力事業団)職員3人の射殺事件を憶えていますか。 そのうちの一人
   が、大学時代同期のNでした。
    私もそうでしたが、海外での農業活動に夢を託し、その夢を実現すべくJICA職員とし
   て初めて赴いた新天地での殉職でした。物静かで温厚だった彼がゲリラに銃口を向けら
   れた時、一体どんな思いでその瞬間をむかえたのか・・・・・・彼の突然の死を知ってから
   しばらく、彼の柔和な笑顔を思い出しながら、夢果たせずこの国に残ってしまった自分を
   問いただす毎日でした。そして、そんな中からも、今の私にできる行動を起こすべきだと
   決心したのです。
                       
   


事業の展開

  1993年、5回目のインドネシア訪問で、我が家で研修を終え帰国し、成功裡に農業を
    行っている信頼のおける2人の研修生をジャカルタに集め、事業の内容を説明し、彼らの
    快諾を得てこの事業はスタートしました。
     当初は、私個人の資金で事業をスタートさせました。と言うのも、事業そのものがうまく軌
    道に乗るかどうかもわからず、失敗しても自己資金だけなら自分さえ諦めればいいと思った
    からです。2人の”我が子”はさっそくその翌日から動きだし、自分たちの住んでいる東部ジ
    ャワ州、西部ジャワ州の2カ所で計4人に資金貸付が行われ、順調に成果を現し始めました

  この事業は、基本的には帰国研修生に運営を任せています。彼らそのものは帰国後一
    応の成功を収め、一定以上の所得を得ており資金貸付け対象者の選択、貸付け資金の量
    なども彼らの自主的判断に委ねられています。
     資金そのものも”援助”ではなく、あくまでも「融資」の形をとっており、一定期間後に返済さ
    れ次の貸付けに回されます。開発途上国にありがちな”もらい得”を避け、本当の意味での
    「自立経営精神」をも養ってもらうためです。
 
  1995年の訪問の際、そのうちの2人に会うことが出来ました。資金の貸付けを受け、そ
   れまでの収入の倍ちかく所得を伸ばしていました。それぞれに貸し付けられた金額は日本
    円にして1万から3万円程度です。

  その間、事業の順調なすべり出しを確信し、自己資金だけでは事業展開の広がりに緩慢
   さも感じるようになり、思い切って賛同者を募ることとしました。東京でのNGO活動イベント
    に参加して事業のPRをしたり、地元の心ある方々にお願いをしたりしてきた結果、多くの方
    々から賛助金が寄せられ、1998年(1月)、3番目の活動拠点として中部ジャワ州にその資
    金が投下されました。ご存じのように通貨暴落の余波で交換レートも良く、思った以上の資
    金供与ができました。

  1999年、スマトラ−リアウ州に4番目の拠点、2001年東カリマンタン州−サマリンダに5番目
    の拠点を開設するとともに、資金貸付農家全員に 現地で面接調査を行い、この事業の有効性、
    実効性、 将来性について総合的な分析を行いました。

    結果、彼らにとって、この事業で貸与される資金は、新鮮で、効果的な活用が自由で、いわゆる
    投下対効果が飛躍的であり、今後もこの事業の拡大に彼ら自身大きな期待をしていることを知りました。

  これらの成果を踏まえて、今後彼らがその必要性を認める限り、存在しているインドネシア
    農村社会の伝統、秩序、慣習を尊重しながら事業の拡大をはかり、これまでの活動拠点に
    とどまらず、他の
主だった州にも活動の輪を広めたいと考えております。
       
               
                事業の現況 事業への参加

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